短い言葉と勝手な解釈

 日本語は文法的に割に自由度の高い言語で、最低限必要な言葉を助詞でつなぎ、動詞を活用してしまえば、しばしば用が足りる。いや、「日本語は〜」というより、日本語を使ってきた人々の言語習慣がそうである、といったほうが正確かもしれない。
 例えば、「ラーメンを食べた。」という文章は、書き手(話し手)と読み手(聞き手)の間で、誰のことかや状況が了解されていればそれで済む。いわゆる「主語」もいらない。この簡潔さと自由さが日本語、あるいは日本語の言語習慣の便利なところであるし、日本で曖昧なコミュニケーションを可としてきた理由のひとつかもしれない。
 でもって、この短さから来る曖昧さをうまく利用しているのが、マスコミュニケーションである。たとえば、広告コピーには主体や状況をボカしたままにして、書かれていないことの類推を読み手(聞き手)にゆだねてしまうものが多い。類推だから、イメージも勝手にふくらましてくれる。読み手の自由にまかせる部分が大きいのである(もちろん、どう類推してくれるかについて、作り手側は計算づくだ)。
 でまあ、ここから急に、下衆な話になって恐縮なのだが、今でも自民党の安倍首相の「日本を、取り戻す。」というポスターがよく張られている。おれは、あのコピー、なかなかの名作だと思っている。見るたびに読み手として勝手におもしろおかしく言葉を補えるからだ。
 自民党の政権復帰前は、

民主党から)日本を、取り戻す。

という意味だったりしてー、と解釈していた。
 最近は、

(安倍首相の妄想する)日本を、取り戻す。

が正確なところじゃないかとおれはニラんでいる。
もうひとつ、

日本が、動き始めた。

というコピーもあって、これに言葉を勝手に補うと、

日本が、(右方向に)動き始めた。

といったところではないか。
 そもそもあのコピー、日本がどう動き始めたんだかについては語っていなくて、実は、

日本が、(後ろ向きに)動き始めた。

である可能性もある。
 こういうのを当てこすりっていうんですかね。新聞の野暮な政治風刺みたいだ。心が汚れていて、すみません。