天然と合成

 一般に飲食物では合成ナンタラという成分は好まれないようである。「合成保存料ゼロ」なんていうのがそれだけでちょっとした売り文句になったりする。逆に天然ナンタラというのは正体が不明であっても好感を持って迎えられるところがある。
 まあ、合成ナンタラというものは効果がしばしば強力で、考えてみればネギトロだのイクラだのを入れたオニギリがコンビニで製造から2日、3日たっても無事でいるというのは凄いことである。そんなものが体内に入って大丈夫なのか、という気分もわかる。昔は人が亡くなると腐敗するから早く土葬か火葬にしたが、最近は、本当か嘘か、人体に合成保存料が蓄積されているから2、3日放っておいても腐らない、葬儀なんかも割にゆるい日程で組めるという話も聞く。
 合成ナンタラというものに対する警戒心も強まっていて、オーガニックというんでしょうか、化学的なものをいっさい使わない素材を使った料理も割に目にする。そういう飲食物だけで生活する人もいる。
 しかし、どうなんだろう、こういう世の中であれば、合成ナンタラを一生全く口にしないで過ごすなんてことも難しそうで、もしそういういわゆる「無害」なものだけで暮らしている人が何かの拍子に合成ナンタラの入ったものを口にしたら大丈夫なんだろうか。感染症と同じで、全くさらされたことのない人のほうが無抵抗なだけに過敏な反応を起こすんじゃなかろうか。してみると、日常的にほどほど合成ナンタラを口にしている人のほうが健康で長生きするかもしれない。いや、例によってきちんとした知識や学習なしに勝手なことをほざいているんだが。
 天然ナンタラと合成ナンタラの人体に対する影響度の違いというのは、天然だからよい、合成だからいかん、ということではないのだろうと思う。天然のほうは一般に長い間使われてきて経験的に安全度がわかっている(つまり、長年の人体実験を経ている)が、合成のほうはたかだか百年以内くらいのものばかりで無害あるいは害の程度が経験的にわかっていないということなんだろうと思う。遺伝子組み換えの食物なんかも同じことですね。100%危険ということではなくて、時間をかけた人体実験がまだなされていないというなのだろう。
 もっとも、最近の天然ナンタラの持ち上げ方や、合成ナンタラのおとしめられ方はたぶんに言葉の印象が一人歩きしているところがあると思う。おれとしてはいくら天然であっても、例えば和風野菜サラダ天然トリカブトのやさしい苦み、なんていうのはなるべく遠慮したい。