お国自慢がよくわからない

 何度か書いた覚えがあるのだけれども、お国自慢の感覚というのが今いちよくわからない。
 おれは富山の生まれで、人にそう言うと、
「魚がおいしいですよね」
 とよく言われる。
 これ、いつも返答に困るのよね。
 おいしいと言えばおいしいような気もするのだが、残念ながらおれはあまり食べ物に興味がない。東京で食べる魚だって十分においしいと思う。それに魚をほめられても、別におれが育てたわけでも捕ってきたわけでもないしナァ、と思う。
立山連峰がきれいですね」
 と言われることもある。まあ、よそに住んでいる人が富山に来て、たまたま平たい土地の先に山並みがある風景を見れば、オッ、と思うのかもしれない。しかし、毎日そこで暮らしているとあるのが当たり前になってしまい、しかも平たい土地だからどこからでも見え、新鮮さはない。
 魚と立山連峰、この2つで会話が弾まないと、後が苦しくなる。相手は富山と言えばたいがいその2つくらいしか知らず、後は薬売りの話題くらいだろうか。しかし、薬売りで会話を弾ませるにはなかなかの知識とテクニックが必要である。そもそも薬売りはそういう商売の仕方がある(あった)というだけで、別に自慢になるようなものでもないし。相手は何とかこちらの故郷を立てようとしてくれているのだろうが……。
 ぐっと縮尺を拡大して、では日本についてお国自慢をできるか、というとこれもおれにはなかなか難しい。
 歌舞伎? 相撲? 柔道? 別におれはやったことないし、見て面白いとは思うけれどもこちらはあくまで客の身分だ。
 サムライ? 武士道? やめてくれ、おれはそんなものを自慢するほど間抜けじゃない。だいたい、サムライ以外のみなさんに失礼じゃないか。
 勤勉? 緻密? 礼儀正しさ? 自分にできないことを自慢するわけにもいかんしナァ。勤勉じゃないやつも、緻密じゃないやつも、礼儀正しくないやつもいっぱい知ってるし。
 桜? 富士山? 芸者? 寿司? 天ぷら? それらはどれもおれの「外」にあるものだ。
 まあ、お国自慢できるできないというのは体質的なものが関係しているようにも思う。自慢じゃなくて卑下するのなら、おれにも結構できそうな気がする。自慢も、卑下も、どちらも愛情表現ではあるから、自慢体質と卑下体質があるのかもしれない。
 次回は思い切り生まれ故郷を卑下してみようかな。そちらのほうが筆が走る気がする。