生物と仕組みと造物主

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

 分子生物学者が生物におけるDNAやタンパク質のふるまいを説明しながら、「生命とは何か」という大テーマに答えた本。上手にたとえ話を使って、生物のミクロな仕組みを素人にもわかるよう伝えてくれる。
 文章のそこここに織り込まれた文学趣味のようなところはおれの好みではなかったが、生物という仕組みが現にそこで動いていることの不思議さは十分に伝わってきた。いや、おれにとっては思い出されたという感じである。
 おれは馬鹿なのだが、高校生の頃、なぜか生物の成績だけがとてもよかった。授業中は寝てばかりいたが、教科書をいっぺん読んだだけでたいがいのことは頭に入った。テストの成績もよく、生物の先生は「これほどよくできる子を見たことがない」と言った。
 なぜ生物が得意だったかというと、おそらくは生物の仕組みが単純に不思議で面白かったのだと思う。DNAの二重螺旋構造とか、筋肉のアクチンとミオシンとか、酸素呼吸のTCA回路とか、どれも実によくできていて、しかもそこらへんで普通に働いている。宇宙ができて、ただ物質が存在する状態を放っておいたら、いつのまにやらこんな精妙なミクロの仕組みとそれらを統合した全体(個体、群れ、生態系)ができてしまった。そういう不思議の念が、生物の教科書を読む高校生のおれの底のほうにあったように思う。
 たとえば、上記の本で福岡伸一が書いている小胞体〜分泌の仕組みもそうだ。膵臓の細胞は消化用のタンパク質を作っている。作られた消化用のタンパク質は、膵臓細胞内の小胞体という一区画内に収められる。そこからいくつかのプロセスを経て、膜に覆われた分泌顆粒という区画に充填される。分泌顆粒は細胞内の泡のようなもので、これが細胞膜に接すると細胞膜と分泌顆粒の膜がくっついて、なぜだか開く(タンパク質がうまく作用するらしい)。ちょうどソーダ水の表面から泡が外の世界に出るように、分泌顆粒が外に出て(というか、泡が解消されて、というか)、消化用のタンパク質が消化管に放出される。いや、言葉では何だかわからないかもしれませんね、図がなければ。
 ともあれ、膵臓細胞のタンパク質放出の過程だけでも、複雑で、よくできているのである。しかもそれに類する精妙で、よくできた仕組みは生物のあらゆるところで観察できる。放っておいただけでなぜこんな複雑でうまく機能する仕組みができたのか、いかにも不思議である。造物主を持ち出す人がいるのも、気持ちはわかる。「造物主が設計なさったのだ」と考えれば、一種の落ち着きは得られる。しかし、それも飛躍であって、少なくともおれなんぞには証明できるわけがなく、不思議の念でとどめておくのがほどよいだろうと思っている。
 話がよじれて変な方向に向かったが、生物の仕組みは本当に複雑で、精妙で、よくできていて、不思議である。おれにとってはその不思議の感覚を思い出させてくれた本だった。