物事をずっと違ったふうに思い込んでいることがあって、昨日、ひとつ判明した。
街なかやそこらへんをスッパダカで走り回るストリーキングという行為がある。わたしは残念ながらあまり文明化していないので、やったことがない。
確か、「国家の品格」の藤原センセーも、留学先のアメリカでやらかしたと「若き数学者のアメリカ」に書いていなかったか。
「ブシドー!」とか、「ニトベ・イナゾー!」とか絶叫しながら走り回れば、面白かったのだが。
ストリーキングは、“streaking”と綴るのだそうだ。知らなんだ。
辞書を繰ると、“streak”には、筋、縞、稲妻、稲妻のように走る、などなどの意味がある。稲妻の電撃ショック的なイメージが、スッパダカで走り回る行為に結びついたのかもしれない。
わたしはずっとストリーキングを、「ストリー・キング」だと思い込んでいて、ストリーって何なのだ、いったい何の王様なのだ、と思っていた。
思ってはいたものの、調べてみるほどの熱意はなく、やる気はさらになく、そのまま放っておいた。そういうものがわたしにはたくさんある。ああ、ナマコのわたし。
ストリーキングを何かのキングだと思い込んだのには、「裸の王様」の話が影響していたのかもしれない。
まあ、ストリーキングする人々は、その瞬間だけ、王様の栄光に包まれているようでもある。
夏目漱石の「三四郎」を柔道の姿三四郎の物語だと思い込んでいた話は、ここにも何度か書いた。
高校時代、「三四郎」を三分の二ほどまで読み進んで、三四郎が柔道をやらないと気づいたときの衝撃は、今でも覚えている。
今日はどんどん恥をさらすつもりでいる。心のストリーキングである。
日本在住のファッション・デザイナーに、ヨーガン・レールという人がいる。ブランド名にもなっている。
わたしは20代の頃、ヨーガン・レールは「溶岩レール」と書くのだと思い込んでいて、“溶岩で、しかもレールなのか。凄い名前をつけるもんだなー”と感心していた。きっと、凄いシュールレアリスムな服なのだろう、と。
恥、恥、恥。でも、いい名前だと思うんだけどな。溶岩レール。
もっと身近なところでは、パルメザン・チーズというのがありますね。スパゲッティとかにかけるやつ。
あれは、「パルチザン・チーズ」なのだとずっと思っていた。
第二次大戦中に、ナチス・ドイツやイタリア・ファシズムに抵抗した地下組織の人々が愛用した、由緒あるチーズなのだろう、と。確かに、携帯に便利だな、と。
そうして、スパゲッティを食べるたびに、わたしは地下の穴蔵でこれを食していた人々のことを思ったのだ。あの、無駄な感慨の時間を、どうすればいいのだ。