わたしの表記法

 ウェブサイト上の文章では、段落と段落の間をアケることが多い。


 例えば、今、こうやって書いている文章のようにだ。


 パソコンの画面上の文字は、解像度のせいで紙に印字したものより読みにくく、理解力が低下するからだろう。画面上で気づかなかった間違いに、プリントアウトしてから気づいた経験のある人は多いだろうと思う。


 確かに、画面上で文字がぎっちり詰まっていると、読みにくい。長い文章を読むと、疲れる。
 1行アケると、上下の行の言葉があまり目に飛び込まなくなり、ノイズを減らせるのだと思う。


 あるところに、どうせ段落ごとに1行アケるんなら段落頭の字下げはやめたらどうか、という意見が書いてあった。


 例えば、


 こんなふうに書いたとする。


 段落ごとに1行アケるのなら、それで段落が変わったことはわかる。だから、わざわざ段落の頭を下げることに機能的な意味はない、というのであるつはいまー。


こんなふうに書いたとする。


段落ごとに1行アケるのなら、それで段落が変わったことはわかる。だから、わざわざ段落の頭を下げることに機能的な意味はない、というのであるつはいまー。


 確かに、下のやり方で、十分、段落が変わったことはわかる。


 日本の文書の字下げは、中国の上奏文から来ていると聞いたことがある。皇帝陛下に畏れ多いので、文の頭を下げた、というのだ。


 まあ、俗説かもしれない。この手の説が広まるかどうかは、事実かどうかよりも面白いかどうかで決まる。そうやって悪説は良説を駆逐するわけであります。


 段落の頭下げには機能的な意味もある。


例1



例2



 例1では、「段落を変えるのは〜」、「ハイ、今、段落を〜」の前で段落変えをしたのかしないのかわからない。
 例2では、「段落を変えるのは〜」の前では段落変えをしていないが、「ハイ、今、段落を〜」の前で段落変えをしたとわかる。


 しかし、最初のほうで書いたとおり、


例3



 でも、1行アケることで、段落変えをしたとわかるわけだ。


 まあ、各人、好きなようにやればよいと思う。


 わたしの場合は、何段落かをまとめて1つの節を作り、節と節の間に、1行アケることにしている。
 今、まさに書いている文章がそのやり方で、そうすると、例3のやり方では、「段落を変えるのは〜」の前で段落を変えたのかどうか、わからなくなってしまう。


 そんなこんなで、段落の頭を字下げしたうえで、さらに節ごとに1行アケも入れる、という二段構えの仕組みにしている。


 こんな白痴文でも、一応は意味のまとまりや読みやすさを考えて書いているのよね。


「読みやすさに気をつかう前に、もっと内容をどうにかしなさい」と言われたら、ハァ、シィマセンと言うよりほかないが。

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「今日の嘘八百」


嘘七百十 聖徳太子は十人の訴えを同時に聞き取ったが、誰がどれを言ったか取り違えたので、大混乱に陥ったという。