今より進化した人類――新人類とか、ニューナンタラとか、ミュータントとか、呼び名はいろいろのようだが、SF調の作品にはしばしばそういう設定がある。
たいていは何か優れた能力を授かるようだ。知能が高いとか、超能力を持つとか、超人的な身体能力を持つとか、何かそんなの。
呼び名は仮に新人類としておいて、なぜ、
・脇毛が長い
とか、そういう方向に行かないのだろう。脇毛が進化したって別にいいではないか。
あるいは、
・アソコが異様にでかい
だって、立派な進化である。便利なのか不便なのかはよくわからぬが。ちなみに、アソコとは鼻の穴のことである。竹内結子に新人類のプロトタイプを見ることができる。
現生人類をこれだけハビコらせた理由の一端は、おそらく、直立二足歩行の成功にあるのだから、次の進化は、
・直立一足歩行する
でも、いいと思う。手が2本自由に使えるだけでなく、足も1本自由に使えるのだ。両手に荷物持って、傘を差すとき、便利である。
新人類は旧人類より高い身体能力を持つ、という設定も、よくあるようだ。
足が早いとか、素晴らしい跳躍力があるとか、怪力である、なんていうのも、まあ、結構だが、どれも発想が子どもっぽい。
大人ならやはり、
・肝臓が疲れにくい
とか、そういうことを望んだっていいと思う。いや、ワタクシ、切実に望みます。この件についてだけは新人類になりたいです。
運動能力のほうに行くと、
・スキップが早い
というのも無意味だが、いい。
あるいは、足が早いのではなく、手が早いというのはどうだろう。案外、身近に新人類はいそうである。わたしも何人か知っている。
精神面の進化では、
・涙もろくなった
いい新人類だ。人に涙すること。人が人のことを思うこと。これほど美しいことはこの世にない。
以上、まとめると、新人類は脇毛が長く、鼻の穴がでかく、直立一足歩行し、肝臓が丈夫で、スキップが早く、涙もろい。と、こういうことに相なった。
あまり旧人類とも摩擦を起こさなそうである。結構なことである。
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「今日の嘘八百」
嘘五百五十一 ロシアとアラスカの人は、ひそかに温暖化を待ち望んでいるらしい。