ご都合主義

 テレビで、金曜に「パッチギ!」、土曜に「博士の愛した数式」を見た。


パッチギ!」を見るのは2回目だ。在日朝鮮人という一筋縄でも二筋縄でもいかないテーマを扱いながら、パワフルな娯楽作でもある。クライマックスに向かっては一気呵成だ。


博士の愛した数式」のほうは、深津絵里と寺尾聡が散歩するスチール写真がきれいなので、見てみた。


 シングルマザーである家政婦(深津絵里)の息子(吉岡秀隆)が成長して、高校(中学かな? ま、いいや)の数学教師となる。
 数学の授業をしながら、寺尾聡演じる「博士」との日々を回想する、という構成になっている。


 この高校の授業シーンが何とも不自然で笑ってしまった。
 吉岡秀隆が「わかる人?」と問題を出すと、「ハイ!」とすくっと手をあげて、正解を言う。冗談を言うと、「ハハハハハ」と全員で笑う。


 それのどこが不自然なのか? というと――やっぱり、不自然なのだ。


 挙げ句の果ては「先生、それからどうなったんですか?」(ま、何かそんなセリフ)と、話を進める手助けまでしてくれる。いい子だ。全員いい子達すぎて、笑ってしまう。


 この高校の授業は、吉岡秀隆が回想を進める役目を担っている。しかし、「先生、それからどうなったんですか?」は、いくらなんでもないだろう、と思う。


 話を進めるのに都合いいように出来事やセリフを入れること、これを称してご都合主義と言う。
「博士の〜」の高校の授業は、ロコツにご都合主義で、最初は笑って見ていたが、途中からシラケてきた。他のところはそう悪くないだけに、映画に水をさしてもったいない。


パッチギ!」の井筒和幸監督は、脚本にご都合主義的なシーンがあると、書き直させるそうだ。不自然だと、客が映画の外に出てしまうからだろう。


 だいたい、クラス全員で明るく「ハハハハハ」と笑う、なんて、気色悪くてしょうがない。
 こっそり、漫画やエロ本を読んだり、早弁したり、眠ったり、教科書に落書きしたり、ナゾの「作戦計画」をしたためたり、隣の子のおっぱいに人知れずコーフンしたり、高校生というのはもっと凸凹しているものだろう。


 それとも、あのクラス、マインドコントロールでもされていたのだろうか。
 そのくらい、「いい子」ばかりで、不気味だったのよね。


 ああいうのを見ると、監督なり脚本家なり、普段、物事をちゃんと見てるのか、と思う。


 まあ、かといって、井筒監督の「ガキ帝国」や「岸和田少年愚連隊」みたいな高校も話が進まなくて――というか、話が別の方向に進んで、最後は必ず乱闘になってしまい、博士の出る幕がなくなって困るだろうけど。

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「今日の嘘八百」


嘘四百三十七 神様とは、すなわち、この世にご都合主義をもたらしてくれる存在のことである。