舞い

 今ひとつ、フィギュアスケートの面白さがよくわからない。


 いやね、きれいだな、と思うときもあるのだ。いい演技だなあ、と。


 まあ、しかし、そういうときはめったになくて、たいていは隔靴掻痒、というのはちょっと違うか、何だか見ていて中途半端な心持ちになる。


 ジャンプしてたくさん回ると偉い、というのは、まあ、わかる。
 しかし、トリプルアクセルと、ダブルアクセルトーループ(こういう言葉だけは知っている)のどっちが凄いと訊かれたって、いやあ、わたしにはどっちもできません、くらいしか言えない。
 つまり、凄さの程度がよくわからんのだ。


 でもって、あのフィギュアの人達、気合い入れて、くるくるくるっ、と回った後、片足で滑って、手なんぞすっと持ち上げて、「どうです?」ってなふうに、観客に自慢げに一周する。


 と思ったら、音楽の変化に合わせて急に、パタパタパタパタ、ステップを始める。


 運動なのか、舞いなのか、いったい、どっちをしたいんだ、と思う。かつての伊藤みどり問題、なんてのも、たぶん、そこらに根っこがあったんよね。


 技術点と芸術点の両方あることが、フィギュアスケートを中途半端にしているのだと思う。
 フィギュアスケートに限らず、シンクロナイズド・スイミングとか、新体操にも同じことを感じる。


 立川談志師に言わせれば、「スポーツに舞いを入れるな」だそうで、わからんでもない。


 たぶん、舞いは舞いだけで十分成立するものなのに、そこに別個の、数値化できる運動をくっつけちゃったところに、あの手の見せ物の奇妙さがあるのだと思う。


 極端な話だが、バレエの途中に腕立て伏せを入れるようルールで決めて、腕立て伏せの回数とバレエの美しさを両方、採点するようにしたら、随分、ヘンテコなものだろう。


 それから、フィギュアスケートのジャンプを短いシャッター速度で撮った写真。
 新聞では、その手の写真を載せたがるけど、あの瞬間、選手の顔は気合いと遠心力で凄まじいことになっている。


 特に女子選手のそれは載せてやるな。一応、舞いでもあるんだから。それが武士の情けよ。

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「今日の嘘八百」


嘘三百八十九 空港のセキュリティ検査場で、忍者姿の男が「決して怪しい者じゃありません!」と訴えていた。


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