駄洒落脳

 駄洒落というのは、最も簡単で最も難しい笑いのテクニックだと思う。つくるのは簡単だが、相手をシラーッとさせたり、どういう態度をとればいいのか、困らせたりすることも多い。


 あの志ん生ですら、駄洒落ではしくじることがある。


「昔は物が安かったですな。四貫相場に米八斗(はっと)と言いまして、四貫というと四十銭。四十銭で米を八斗買えたってんだから、今、聞くとハッとしますな」
(客席)シーン。


 という録音が残っている。


 思うに、駄洒落脳とでもいうべきものがあるんじゃないかと思う。駄洒落病、駄洒落症と呼んでもいいが、ここではあえて脳科学的に捉えて、駄洒落脳と言いたい。


 第一期が訪れるのは意外に早くて、小学校の頃である。「シャレをおっしゃれ」ぐらいでケタケタ笑えるのだから、思えば幸せな時期だ。


 ところが、中学、高校くらいになると、「カッコ悪い」、「ダサい」という感覚を理解し始めるものだから、駄洒落脳はいったん活動が抑制される。
 中には、駄洒落を連発する大学生というのもいるが、たいていは馬鹿にされており、ロクな人生を送るはずもないから、放っておけばよい。


 駄洒落脳が再び活動し始めるのは、わたしの観察によると30歳を超えたあたりからだ。未婚者より既婚者に多く見受けられるという報告もあるが、まだ統計学的な確証は得られていない。


 初めは頭の中で駄洒落を思いつく程度である。例えば、この文章のタイトル、「駄洒落脳」を見て、「駄洒落、のう」とジジイの口調を頭の中で思い浮かべるのだ。


 しかし、口にしたときのオソロシサも想像できるから、思いつくだけで抑えておく。
 人によっては、「こんなことではいかん!」と水ごりをしたり、とりあえず永平寺に行ってみたりもするらしいが、詳しいことはわからない。


 症状としては小学生の第一期より軽い。だが、たとえ頭の中だけであっても、「カッコ悪さ」、「ダサさ」が後退するのだから、第二期と呼ぶべきだろう。


 第三期になると、周囲の視線のオソロシサ、迷惑も振り切って、「駄洒落、のう」と口に出してしまう。
 しかし、まだいくらかは恥ずかしさも残っていて、言った後、赤面したり、「いやあ、スマン、スマン」と謝ったりする。


 第四期は怖い。大脳の言語中枢と喉頭筋が神経で直接的に結びついてしまう。
 いわば、チェック機関を欠いた状態になり、思いつくと同時に駄洒落を言ってしまうのだ。


 この時期に至ると、大脳のうちの恥の感覚を担当する部分も働きが弱まる、あるいはまったく麻痺してしまうのが特徴だ。
 まわりは、いわゆる「OL達の沈黙」になっていたりするのだが、それをものともしないのだから、困ったものである。


 第四期に至る時期については個人差も大きいが、三十代後半から五十代に多く見られる。


 しかし、十代にすでに第四期に至り、そのままずっと老人になるまで治らないケースも珍しくはない。
 こういう人間の駄洒落には、反応してしまうのが一番いけない。無視して「なかったこと」にしてしまうのが、社会的にも、本人のためにも一番だ。


 もっとも、無視すると、聞こえなかったのかと思って、もう一度、繰り返す駄洒落脳第四期の患者もいる。こういうのは、ケツを思いっきり蹴っ飛ばすのが一番よい、とわたしは個人的に考えている。


 老年と駄洒落脳の関係については、まだ十分な研究がなされていない。
 認知症、いわゆるボケ老人が、ステッキをびゅんびゅん振り回しながら、「うりゃっ! 内容がないよう!!」、「コーディネートはこうでねえと! ちぇすとーっ!!」と叫ぶ様も見てみたい気がする。


 林家ペー氏が将来、認知症になると、そういうふうになるのか。パー子さんはそれをあの怪音波で介護するのか。
 想像するだに恐ろしい光景だが、とりあえず、ここでは蓋をしておきたい。


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