タイフーン期

 表現の分野でも科学技術の分野でも、短期間に物事が非常に進んで、面白い出来事が次々に起きる時期というのがある。仮にタイフーン期とここでは読んでおこう。

 たとえば、ロックなら1960年代。パーソナルコンピュータなら1980年代前半。インターネット技術なら1990年代後半から2000年代前半。フリージャズなら1960年代。ジェット飛行機なら1940年代後半。柔術なら高専柔道1920年代。ゲノム解析なら2010年代。日本画なら安土桃山時代。近代絵画は印象派1860年代以来、スタイル、考え方ごとに一気に進んだ時期があったようだ。A.I.は今がタイフーン期のただ中かもしれない。

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 分野はさまざまだが、タイフーン期には共通の現象があるように思う。まず、ある手法が発見されると、その手法を面白いと感じてのめりこむ少数の人々が集まる。彼らは相互に刺激を与え、ライバル意識と仲間意識の両方を持ち、その渦の中で新しい別の手法が次々と発見されていく。飛躍的に物事が進む。活動は非常に熱を帯び、異様な高揚感が共有される。そして、その渦のような運動の中から幾人かの巨人が生まれる。

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Source: Creative Commons/brett jordan

 では、タイフーン期がずっと続くかというと、そうではない。だんだんと、あるいはいきなり進歩の速度は落ち、一方でゲームのプレーヤーは増え、成果の総量は多いが、ひとりあたりの取り分は限られてくる。

 たとえば、1960年代後半から1970年代初期のロックなら、ボブ・ディランビートルズジミ・ヘンドリクスストーンズキング・クリムゾンといった巨人たちがいる。その後もビッグネームは数多く生まれたけれども、上記の巨人たちのように他を圧する存在ではなくなった。曲が劣るとか、演奏技術が劣るわけではなく、むしろ向上した部分は多いけれども、革命的業績を生み出すというふうではなくなる。

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 たとえて言うと、こんなふうではないかとおれは考えている。

 誰かが原野を発見する。その原野の可能性に気づいた少数の人が勝手勝手に耕し始める。その中で一部の人が水源や耕し方を発見し、わっと耕地を広げることに成功する。耕した面積は巨大で、他の人たちから巨人と見なされる。

 しかし、そのフィールドがいける、という情報が伝わると大勢の人が押し寄せる。フィールドはだんだんと区画整理され、ひとりあたりの耕せる面積は限られてくる。その中で収量を増やそうとするから、単位面積当たりの収量は初期の巨人たちより優れているが、全体量ではかなわない。何しろ、巨人たちの時代には原野だったので、好き放題に耕して耕地を広げられたが、区画整理された狭い土地から穫れる量は限られているのだ。

 タイフーン期がいつどんな分野で起きるのかはわからない。たまたまそこに居合わせて、原野を耕す能力と熱量を持っていれば・・・つまり、運がよければタイフーンに乗っかれるのだと思う。