戦前と今と空気

 この頃、満州事変や五・一五事件など、戦前の事件についての本をちょぼちょぼと読んでいる。

 おれはそっち方面についてシランケンシュタインだったので、ははあ、そういうことがあったのか、と初めて知ることが多い。

 プレイヤーが多く、日本が戦争に至る経緯は複雑である。しかし、複雑怪奇というわけではない。まあ、丁寧に整理していけば、理解はできそうだというふうには感じている。

 よく近頃のご時世について「戦前の空気に似てきた」と書いている文章をよく読む。全然違うと思う。今は戦前のような軍部はない。自衛隊はあるが、統帥権問題もなければ革新派将校もいない。戦前に比べれば、軍に対してはるかに政府の統制は守られている。検閲も戦前とは比べものにならない。

 そもそも、戦前の革新運動(国家社会主義やクーデター、テロ)が生まれる背景には、昭和農業恐慌があった。農村の壊滅的状況に対する憤りから革新派将校達が過激行動に走った部分は大きいようだ。

 現代の日本はもちろん経済は落ち込んでいるけれども、昭和農業恐慌と比べれば全然マシである。

 あえて言うなら、大衆のなんとなくの勢い、空気、意見とも言えないような意見によって施策が左右されがちなところは似ているかもしれない。しかし、それは今と戦前に限った話ではないだろう。「こんなことを言ったら、トラブルになるんじゃないか」という恐怖や不安、それによって生まれる空気(つまり、多数派につこうとする人々の意見や感じ方のこと)は似ているかもしれない。あー、ヤダヤダ。

 しかしまあ、大衆とは誰なのか。それはひとつにくくっていいものなのか。いつもながら、疑問である。

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私は大衆ですか? あなたはどうですか?