さまざまな時間の捉え方

 おれは、進化は素晴らしい、という考え方を昔から疑惑のマナザシで見ておって、あまりに無邪気に進歩バンザイ! 発展バンザイ!とするような意見を読むとブーイングしたくなる。

 あの進歩バンザイ! 発展バンザイ!という感じ方はいつ頃生まれたのだろうか。17、18世紀のヨーロッパ産業革命の頃か、技術開発によって企業競争の出し抜く出しぬかれるが激しくなった欧米の19世紀の頃か。

 ちょいちょいと歴史の本を読むと、産業革命以前のヨーロッパではあまり進歩バンザイ! 発展バンザイ!というふうではなかったようだし、その他の地域では20世紀までそうした風潮は支配的でなかったようだ。

 ここからはだいぶ乱暴な思いつきになるのだが、進歩バンザイ! 発展バンザイ!という感じ方はキリスト教(およびイスラム教、ユダヤ教)の直線的な時間の捉え方がベースになっているように思う。神がこの世を創造し、人間が右往作法して、最後には最後の審判の日が来る、という例のあれだ。

 もっとも、直線的な時間の捉え方があればすぐに進歩バンザイ! 発展バンザイ!になるかというと、そうではない。さっき書いたように、キリスト教が支配的だった昔おヨーロッパでも、あるいはイスラム圏でも進歩バンザイ! 発展バンザイ!的な様子が見られないからだ。あったとしても、モノそのものに対する「おお、こりゃ凄い」という直接的な感想くらいではないか。

 進歩バンザイ! 発展バンザイ!の背景にはおそらく科学技術の進歩と、国と国の戦争、あるいは企業間の競争があるのだろう。戦争のとき、あるいは企業間の凌ぎ合いのとき、科学技術による兵器や製品が決定打となれば、「おお、進歩バンザイ!」となっておかしくはない。

 まあ、しかし、それは長い人類の歴史の中でも割と最近の感じ方であるには違いない。