鯉というのは昔から目出度い魚とされていて、絵の題材としてよく描かれてきた。特に滝登りは知られた画題で、あれは上昇→出世、という連想のほか、鯉が龍の門をくぐると龍と化す、という言い伝えのせいでもあるらしい。
また、錦鯉の色鮮やかさも、鯉が特別視される理由のひとつだろう。昔、田中角栄の屋敷には錦鯉の泳ぐ池があって、鯉に餌やりをする姿がしばしば写真になった。新潟の農家から総理大臣にまでのしあがった田中角栄のイメージと、錦鯉の鮮やかさ、鯉の出世のイメージが重なって、写真の題材として象徴的だったのだと思う。
しかし、現実の鯉はなかなかグロテスクである。何といっても、顔が気味悪い。
Fabio Poggi [CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)]
Sardaka [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)]
はっきり言って、これは馬鹿の顔である。馬鹿でなければ、魯鈍である。
鯉は悪食でもあって、口に入るものは何でも食べる。食欲旺盛で、おれの知り合いが池のへりから餌を撒いたところ、もっとくれ、もっとくれ、と大量の鯉がのたくりながら地面にあがってきたそうだ。なかなか恐怖である。
こんなやつが出世の象徴でいいのであろうか、とも思うのだが、もしかすると出世するやつはなりふりかまわぬ、という含意があるのかもしれず、そうであるならば、馬鹿でも魯鈍でも貪欲ならば出世の道は開かれているのかもしれない。