痒みの知覚

 おれはアトピー性皮膚炎で、かれこれ半世紀苦労してきた。生まれるとき、「あー、カイカイカイカイ。尻、カイー」とケツを掻きながらしかるべき場所から出てきたというのは、おれの生まれ育った小学校区でいまだに伝説になっているくらいである。

 そんなわけで今も常にどこかがカイカイカイカイなのであるが、このカイカイカイカイの箇所には特性があると、この頃わかってきた。その時々でカイカイカイカイとなるところは常に二、三ヶ所であって、それ以上は知覚されないのだ。

 たとえば、鼻の中と左の横腹と右のこめかみがカイカイカイカイだとする。すると、後の場所はカイカイカイカイと感じない。そこで、鼻の中と左の横腹と右のこめかみを掻く。アトピーの炎症箇所を掻くのは厳禁だとされているのだが、それはアトピーの苦しみを知らない人間が無責任に言うことである。カイカイカイカイの場所を掻くのはアトピー人にとって無上の喜びである。あああああああ、と、その瞬間、大げさでなく、天にも昇る心持ちである。

 で、天にも昇って一時的にカイカイカイカイがよくなるのは結構なのだが、今度は別の場所、たとえば、ひざ裏や耳の中や左のこめかみがカイカイカイカイ、となる。その箇所がいきなり痒くなるわけではないのだろう。たとえば、ひざ裏や耳の中や左のこめかみが本来痒い状態(要するに炎症を起こしている)であっても、鼻の中と左の横腹と右のこめかみの痒みがそれ以上であれば、おそらく脳は鼻の中と左の横腹と右のこめかみの痒みしか知覚しないのだ。

 痒みを知覚される箇所が限られるのはラッキーとも考えられるが(全身そこらじゅうカイカイカイカイという悲劇を想像してみていただきたい)、しかし、いささか疑念も残る。本来、カイカイカイカイという状態(炎症)は全身あちこちに起きているのだが、単に知覚される場所は大脳の情報処理上、限られるだけなのではないか。つまり、知覚されている場所以外もカイカイカイカイとなっていて、どこかで信号が遮断されているのかもしれず、これはある意味、気づかぬうちにストレスになっているのだとも考えられる。

 意識野の下の無意識野で、おれは常にカイカイカイカイをあちこちで感じているのかもしれない。ただ、意識ののぼらないだけ。実は全身痒いのだ。人生、これストレス。生まれてからずっと実は尻が痒い。