自家用車と籠

 おれは東京の目黒区に住んでいて、移動には主に電車か自転車を使っている。自動車を持っていたのはもはや四半世紀ほど前だ。

 「『移動』の未来」(エドワード・ヒュームズ著、染田屋茂訳、日経BP社)という本を読んだせいもあるのだが、今日、自転車で山手通りを走っていて、ふと思った。

「ひとりふたりの人間を運ぶために1〜2トンもの機械を石油で動かしている。これって異常なことなんじゃないか?」

 自家用車のことである。自家用車を否定するわけではないし、自家用車がなければ現実として暮らせない人も多いだろう(特に大都市圏以外では)。「好きで乗ってるんだ、何が悪い」と言われれば、別に悪くはない。

 ただ、素になって見てみると、随分と大げさなこと(体重40〜100kgくらいの人間を1人か2人運ぶのに、その10倍ものかたまりを使っているのだ)が、日本でも、世界の各所でも行われていると思う。

 落語のマクラなんかでよく「エー、テレビの時代劇なんかによく出てきますが、江戸時代は籠というものを使っておりまして、ひとりの人間を運ぶのにふたりがかり、時には『三枚』と言いまして、三人がかりで行く。考えてみればぜいたくなものですナ」なんぞと言う。

 五十年か百年も経って、今の自家用車が大量に行き交う道路風景を写真か何かで見た人は「考えてみればぜいたくなものですナ」と言うんじゃなかろうか。

「移動」の未来

「移動」の未来