間が持たない

 まずは黙ってこのムービーを見ていただきたい(別にわめきながらでもかまわないが)。

 スティーブ・カッツという人の動画だそうだ。もしかしたら有名な人なのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。
 皮肉がキツく、ユーモアがあり、品とどこかにやさしさがあって、おれ好みである。ラストシーン以外は素晴らしい。
 実際、通勤電車に乗ると、スマホに見入っている人だらけで、このムービーのような奇異な光景に見える。
 もっとも、おれも電車の中でスマホを見ることがある。主に仕事からの帰りで、電車の中の退屈な時間をやり過ごそうと、主にFacebookにアクセスする。スマホを扱わない人からすると、おれも奇異な光景のひとつなのだろう。
 人がスマホに魅入られるのにはいくつもの理由があるのだろうけど、ひとつには何かしてないと間が持たないということもあるのだと思う。
 少し前は間が持たないときのための道具がテレビだった。ただし、テレビは家でないと見られない(この頃はそうでもないが)。持ち運べるという意味では週刊誌が今のスマホの役割を果たしていた。
 まあ、歩きながら週刊誌を読む強者(つわもの)はまずいなかったから、スマホの間つぶし力は週刊誌よりはるかに強力なのだろう。WALKMANなんかも、前スマホ的な間つぶし道具で、今はスマホと一体化した。
 この、「間が持たない」という感覚はいつ頃から生まれ、広がったのだろうか。比較的最近、せいぜい戦後この方くらいのことなのか、それとも昔から人々は間が持たなかったのか。昔の夜の縁台将棋(おれは落語でしか知らないが)なんかも間の持たなさの一種だったのかもしれないし、茶飲話やなんかもそうだったのかもしれない(井戸端会議は家事労働のながら作業だからちょっと違うが)。
 スマホに見入る人々の気味の悪さは画面と人の間で実際に何が起きているのか、ハタからはほとんどわからないところにあるのだろう。没入感が非常に強い。一緒の場にいるのに、その場に互いに存在していないかのような奇妙さ。そうして、スマホの画面の中で知人と「多様性の重要さ」について議論していたりしたら、それこそ皮肉な光景だと思う。