鎖国と教育

 タイトルに「鎖国と教育」と書いたからといって、もちろん、ターヘル・アナトミアだの緒方洪庵だのについて書こうというわけではない。おれにはそんな実力は一切ない。
 文部科学省が小中学校の学習指導要領の改訂を進めていて、一時、「鎖国」という言い方をやめることを検討していたんだそうだ。そのココロは江戸時代も種々の制限のもとながら長崎で清、オランダとの貿易は行われていたからで、確かに江戸時代、日本は完全に国を閉鎖したわけではない。
 しかし一方で、幕末の歴史では「開国」が非常に重要なテーマとなる。開国があるのに、なんで国を閉じる話がないんだ、甚だ教えにくいではないか、などという反対論があって、結局、学習指導要領では「鎖国」を使い続けることになったそうである。
 そこでちょっと不思議に思ったんだが、「開国」の対はなぜ「鎖国」なんだろうか。まあ、「閉鎖」という言葉があるから全くの間違いではないが、普通は「開」の反対は「閉」である。ドアだって、バルブ方面だって、心だって、OpenといえばClose、開とくれば閉というのがこの世の習わしだ。
 ・・・と書きながら、おれは真相を薄々感づいている。ことは小学生の教育に関わる問題だ。社会科の教科書を開きながら先生が「江戸時代に幕府は閉国(へーこく)して」と言ったときのガキめらの反応を想像してみればよい。教室は大混乱に陥って、授業は一時中断と相成るだろう。さらには、鎖国制度ならぬ閉国制度(へーこくせいど)などと口にした日にはもう。
 しかしまあ、オナラブーで笑い転げられるんだから、思えば幸せな年頃である。