断捨離と思い入れ

 先日、妹からメールが来た。富山の実家が取り壊されるとのこと。

 文面から妹がさみしく感じているのはわかった。一方、おれはというと、特に感慨はない。おれが高校を出るまで育った家であり、それからも盆暮れには帰っていたから何かあってもよさそうなもんだが、いやはや、薄情なのかね。

 家以外についても、おれは全般に思い入れが薄い。いわゆる母校に対してもほとんどなつかしさを感じたことがないし、いなかについてもそうだ。音楽や映画、小説なんかには思い入れのあるものがないではないが、総じてモノや場所には特別な感情をあんまり抱いていない。

 考えてみれば、おれが最後に「さみしい」という感情を味わったのが、今をさかのぼること四半世紀ほど前だ。今、とっさに「さみしい」という感情を心の中で再合成しようとしてみたがうまくいかない。あや。人間として何かが欠けているのかしらん。

「断捨離」というものが世の中で結構はやっているらしい。身の回りを片付けて、すっきりする、ストレスを減らすということのようだ。おれはそもそも捨てるということがわずらわしいんだが、ハテ、おれのようにモノへの思い入れの薄い男が断捨離した場合、効果あるんだろうか。

 まあ、生きてることすら面倒くさく感じてる始末なので、断捨離なんて面倒で面倒でまずやらないだろうが。