アイロンがけの楽しみ

 これを書くと、今の日本では知性・品性・感性の三点において馬鹿にされかねないのだけれども、おれは村上春樹の小説が苦手である。といっても、最後に読んだのはもう十数年前だが。

 話の冒頭からビールだのコーラだのTシャツだのスパゲティーだのと続いて、負けてたまるかニッポン男児のおれとしては萎えてしまうのだ。少なくともおれはバーで酒を飲んでいて、見知らぬ女の子から「ねえ、記号と象徴って何が違うのだったかしら?」などと話しかけられたことはない(関係ないが、村上春樹ワンカップ大関を飲みながら大相撲中継を見たことがあるだろうか?)。

 それでもしばらくしのぎきると、村上春樹の筆力と構成力とその他もろもろに圧倒されて、結局は最後まで読みきってしまう。おれの場合、峠を越えるまでが大変なわけで、できればアプト式を採用したいくらいだ。

 何かの小説に村上春樹が「僕がアイロンをかける工程は○○に分かれていて〜」かなんかそんなことを書いていて、おれは、なぁーーーーーーーーにをスカしておるのか!、と月に向かって吠えたものである。

 ところがそれから幾星霜。ちょっと恥ずかしいのだが、おれは今、アイロンがけを結構楽しんでいる。しかも、ちゃんと工程が決まってしまった。

 アイロンがけの一番の楽しみは、生乾きのシャツにアイロンを当て、ジュワッと水蒸気があがる瞬間だ。なぜか知らないがうれしい。もしかしたら、そのとき、おれはウヒウヒウヒと笑っているかもしれない。

 夏の間は早く洗濯物が乾いてしまうので、このジュワッと水蒸気があまり味わえない。これから冬にかけてはいい具合に生乾きになるので、楽しみだ。

 アイロンがけを楽しむようになって、しかも決まった工程までできてしまって、おれは悔しい。敗北感を味わっている。クソ。おれはエプロンなんかしないぞ。男は黙って前掛けだ! そういう問題ではないか。

 村上春樹の「ノルウェイの森」(Norwegian Wood。どうでもいいけど、古いね)に対抗して、おれはいつか「木曾の木材」という小説を書いてやろうと思っている。