- 作者: 山口晃
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2012/11/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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芸術家や芸人が、その芸術なり芸事に取り組んでいる瞬間に感じることを上手に説明してくれると、目が開かれた心持ちになる。画家の山口晃が書いた「ヘンな日本美術史」はそんな本だった。
当たり前だが、画家は筆先の線や塗り、あるいはその向こうにある何かと日々、格闘している人々だ。他の画家が描いた絵を見るときも、素人とはちょっと違う視点で見ている。そういう視点の一端を紐解いてくれるのは、おれのような馬鹿者には大変に新鮮であり、発見があり、文を追っていくのが楽しかった。おれは今まで絵を見るとき、いったい何を見ていたのだろうか、と思う。
いろいろ紹介したいところがあるのだが、今日は一箇所だけ、書き移す。
(……)私たちが美術館などで絵を見る時は、大抵の場合、きちんとした明かりの下です。しかし、昔の絵がどこに飾られていたかと云うと、今と比べると格段に窓や照明の少ない部屋の中だったはずで、必然的に少し暗い場所であったと想像できます。
歌舞伎の化粧があそこまで派手なのも、舞台という広くて暗い空間で映える為のものでしょう。のっぺりとしたけばけばしさが、暗い所で見ると、ふわっと浮かび上がる抜群の効果を生んだりするのです。
絵を鑑賞する時の環境はこのように非常に重要なものですが、悲しい事に、現代ではそれが蔑ろにされている事が多いのです。
おれも同じことを思っていた。少なくとも江戸時代以前の絵は外からの、あるいは蝋燭からの横向きの光で見たわけで、今の美術館の上からの白色照明とは異なった見えだったはずだ。極論すると、おれたちは今、当時の絵師や持ち主たちとは違う絵を見ているとも言える。
山口晃が書いているように、歌舞伎も同じである。今の歌舞伎の生白い化粧顔は、江戸時代や明治頃の観客からすると随分奇異で、もしかすると笑い出したくなるようなものなんではないか。
京都で昼に外を歩いていて舞妓さんに出くわしたときも同じことを感じる。あの極端な生白さと唇の紅は薄暗い空間で見たときにちょうどよく見えるよう調整されたものなんだろう。外で昼間に見ると、舞妓さんにはできれば直接会って謝罪したいが、ちょっと気色悪く感じてしまう。
本来は美術館の照明を暗い横向きにしたり、歌舞伎の照明を暗い赤っぽいほむらにしたりすればよいのだろうけど、来館者や観客から「よく見えない」と文句が出そうだ。見る側も心得と我慢が必要なのだと思う。今となっては無理かもしれない。山口晃はこんなことも書いている。
自転車に乗る事を思い浮かべてほしいのですが、あれは一度乗れるようになると、どうやっても乗れてしまいます。むしろ乗れない事ができなくなる。ムリに乗れない風をやろうとすると、とてもワザとらしくなります。