神仏を信じること

 おれは若い頃、理屈っぽい嫌な野郎で、「神なんかいるわけがない」などとうそぶいていた。
 しかし、この年になると(先日、生誕半世紀を迎えた)、人間の考え(正しくはおれの考え)には限界があるとわかってくるし、またいささかこずるく立ち回ることもできるようになる。今のおれの神仏に対する態度はこうだ。
「神仏がいるかどうかはおれなんぞにはわからないが、神仏を信じると楽になる」。
 前にも何度か書いたけれども、おれはお不動様を信仰していて、近くの目黒不動には毎週参詣している。石段を登って、手水鉢で手と口をすすぎ、お賽銭を放って神頼みをすると、いくらかはしっかりした心持ちになる。しかも、お不動様は火を背負って、怒りの形相で、カッコいいのだ。
 仮想でもいいから、神仏を信じるのは助けになる。信者でないのに「メリークリスマス」とただはしゃぐのはちょっと抵抗があるけれども。