蠟小平

 エズラ・F・ヴォーゲルの「蠟小平」を読んだ。

現代中国の父 トウ小平(上)

現代中国の父 トウ小平(上)

現代中国の父 トウ小平(下)

現代中国の父 トウ小平(下)

 いきなり脱線で恐縮だが、日本語では「とうしょうへい」の「とう」の字が書体によって違って出るようである。おれが見ている画面では簡体字でも繁体字でもない不可解なごんべんの字になっている。本当は「登」にこざとへんと書きたい。現代史上、超級の重要人物なのに、JISも困ったものだ。
 中国の現代史について、おれには切れ切れのつなぎ合わせた知識しかない。中国の現代史は実に多くの登場人物が入り乱れて、正直、よくこんがらがる。今回、蠟小平を軸として見ることでようやく整理がついたように思う。ヴォーゲルは歴史のひだひだを上手に記してくれる(調査研究の時期を含め、執筆には十年かかったそうだ)。
 日中戦争後からの中国史は大きく次のように捉えられる。
1) 国共内戦期(1945年〜1949年)
2) 建国期(1949年〜1957年)
3) 大躍進期(1958年〜1961年)
4) 右派巻き返しの時代(劉少奇の時代。1962年〜1966年)
5) 文化大革命期(1966年〜1976年)
6) ポスト毛沢東期(1976年〜1978年)
7) 改革開放期(1978年〜)
 このうち、蠟小平が大きな権力を握ったのは4と、5の終わり頃、そして7である。ヴォーゲルの本は上巻で6まで、下巻で7を取り上げている。
 上巻はやや駆け足に感じられる。中華人民共和国鎖国に近い時代で記録が限られること、存命の人物が少ないこととともに、蠟小平自身が個人的な記録を一切残さなかったせいのようだ(政治的な用心深さがうかがえる)。
 下巻では改革開放の進行を経済特区、農村改革、外交、軍隊改革のそれぞれについて丁寧に記している。そして、天安門事件から南巡講話まで至って終わる。
 読み通すと、蠟小平自身が徹底した実利主義者であることがわかる。その手法は開発独裁であり、それ以外に中国の統一を保ちつつ現代化を図る方法はないと考えていたようだ。シンガポールリー・クアンユーと意気投合したというのもよくわかる。天安門事件(1989年)のような反政府運動を、開発独裁を進める以上、またソ連・東欧の共産党政権が次々と倒された時期でもあり、蠟小平は絶対認めるわけにいかなかったのだろう。
 蠟小平最後の政治活動である南巡講話(1992年)は江沢民に対するクーデターである。「家族の休暇」と称して武漢、長沙、広州、深圳へと向かった蠟小平は各地で自由化の推進を唱え、メディアの注目を引き付ける。一方で珠海で密かに軍の有力者を集め、「改革に反対する者は、誰であろうが辞めてもらう。……われわれの指導者たちは、見たところなにかしているように見えるが、意味のあることはなにもしていない」と発言する。経済の自由化を躊躇する江沢民への脅しである。事実、計画経済派寄りだった江沢民はこの後、経済の自由化を推し進め始める。
 巻末には「蠟小平時代の重要人物」として、改革開放期に関わる15名の人物の評伝が載っている。これが無学者にはありがたい。計画経済派で、蠟小平と連星のように引っ張りあって現代化に関わった陳雲に、おれは特に興味を持った。