明石家さんまと落語家の了見

 明石家さんまは落語家の了見を持っていると思うのである。
 のっけからいきなりだが、ここはおれが思うことをおれがほざき散らす場であるからして、お許しいただきたい。
 ここで言う落語家の了見というのはおれが勝手にそう思っている了見である。世の中や人間を突き放して見、自分も捨ててかかって、人間の正味の部分を笑う、そんなような了見である。
 物事は近くで見ると悲劇であり、突き放して見ると喜劇になるという。浮気とか、吝嗇なんていうのは、だから目の当たりに見れば悲劇だけれども、遠くから眺めるとそういう人の性が何とも可笑しくなる。落語はこの、遠くで眺めて「あるよなー、人間(自分も)、そんなとこが。あるある」という部分をしばしば突く。落語ではないが、「泣く泣くも いいほうをとる 形見分け」という川柳のような立ち位置である。
 立川談志に、落語とは人間の業の肯定である、という言葉がある。談志らしい大仰でハッタリの効いた表現だけれども、言いたいことはよくわかる。談志が何かの噺のマクラで言っていたけれども、例えば、忠臣蔵であれば、講談は討ち入りに参加した赤穂義士たちを褒め称える。落語は討ち入りに参加せず、逃げた赤穂の家臣たちを扱う。「人間、本来、逃げるもんなんですヨ」、と。講談と落語の内容的な違いを上手く説明していると思う。もちろん、それだけが落語というわけではないだろうけれども。
 この「人間、本来、逃げるもんですヨ」という部分を明石家さんまは深く理解していて、というより、どこか達観していて、それを笑いの芯に置いているように見える。簡単に言うと、「醒めている」のである。さんまがよく言う「しゃあない」という言葉はそこから出てくるのだろうし、瞬時に裸になって己を道化にできるのもそこから来るのだろうし、過去の女性やエッチ、風俗通いの話をしても視聴者が明るく聞き流してしまうのはそういう達観の部分が底にあるからなのだろうと思う。さんまはタレントと見せかけて、落語家の了見を持った昔気質の芸人なのである。
 ナンシー関がこんなようなことを書いているそうだ(又聞きである)。テレビ番組でタレントがアフリカなどを旅行して帰ってくると、よく「人生観が変わった」などと言う。しかし、明石家さんまだけは現地の人の人生観を変えて帰ってくる。達人は達人を知るものである。
 この落語家の了見というか、達観を、さんまはどういうふうに身につけたのだろうか。
 さんまは高校を卒業した後、落語家の笑福亭松之助のところに弟子入りしている。本人の弁では、一応、噺を七、八席あげたそうだ。が、落語に対する才能のなさに気づいたのか、落語の世界が自分には狭く思えたのか、すぐにピンの芸人に転身した(もっとも、笑福亭松之助のことは今でも師匠として大切にしているようだし、松之助の奇人ぶりもあって、このふたりの関係の深さはちょっとやそっとでは理解のできないところがある)。さんまとは別の形で捨ててかかっている落語家、笑福亭松之助を師匠に持つことで、落語家の了見を身につけたということは考えられる。
 もっとさかのぼると、さんまの子供の頃の家庭環境というのはあまり幸福なものではなかったようだ。幼い頃、実の母と死別し、父は子持ちの女性と再婚。しかしこの新しい母はあまりさんまのことを可愛がらなかったという。その連れ子である弟はさんまのことを慕っていたが、さんまが二十代前半の頃、火事で焼死した。さんまがよく言う「おれ、焼死だけはしたくないねん。スポーツ新聞に『さんま、黒焦げ』『丸焼け』と書かれるから」というギャグは、だから捨て身である。子供時代から若手の時代に、上の世代の大阪芸人の凄まじい生き方と合わせ、底の底を見てきたことが、人間の正味の部分を笑いにするさんまの型、落語家の了見につながったんじゃないかとおれは睨んでいる。
 だからこそ、明石家さんまは感動しないし、感動させないし、泣かない。感動なんぞ安い飾りに思えるのだろう、さんまには。まわりをゲラゲラ笑わせ、ワーワーキャーキャー言わせながら、ひとり醒めているさんま。「生きてるだけで丸儲け」というさんまの言葉は、ニヒルを突き抜けた先にできあがった人生の全肯定の言葉だと思う。
 なお、余談だが、立川談志明石家さんまを買っていたらしい。「さんまのまんま」に談志が出たとき、「今までいろんな偉いやつを見てきたけど、明石家さんまが一番偉いネ。二番目がエジソンで、三番目が花咲か爺だ」と言っていた。人間の業の肯定だったのだろうか。