進化の速度

 生物の進化と、人間の科学技術、モノ、サービス、生活の進化について、もう少し書いてみる。
 この数百年の間の、科学技術、モノ、サービス、生活様式の進化の速度は驚異的だとおれは思う。人類の文明の歴史をどこから数え始めればいいのかわからないが、仮に火の使用をスタートとして、短めにとって20万年前である(170万年前とする説もあるようだ)。ワットの蒸気機関が250年ほど前、自動車が200年近く前、コンピュータは第二次大戦中に開発が始まったからたかだか70年ほど前である。
 ここ数百年の加速度的な文明の進化は、人類の長い歴史、もっとはるかに長い生物の進化の歴史から見ると、異常事態と言っていいんじゃないかと思う。そういう異常事態の時代を体験できるのは、偶然とはいえ、なかなかラッキーである。
 この異常事態が始まり、続いている理由はなんだろうか。
 いろんな見方ができるだろうが、ひとつには、資本主義と、国家間の戦争によって競争状態が過熱したことにあると思う。テクノロジー、その表現型としてのモノ、サービスと、資本主義、戦争がからんで、ワッセワッセの狂乱状態が現出したんではないか。
 生物の形態と行動様式の進化に比べ、人間の最近の科学技術、モノ、サービス、生活の進化は異常に早い。おそらく、同じ競争状態の中にあるとは言っても、生物の進化が行き当たりばったりの偶然によるのに対し(生物は自分の意思とか戦略で形態や行動様式を変えることができない。形態や行動様式の変化は環境の変化か遺伝子の作用でたまたま起きるだけである)、文明のほうの進化は組織や個人の意思とアイデアに基づくからなんだろう。特に、資本主義と戦争の場合、「何とかしなければ負ける」という切迫感が作用するから、勢い、全体としてはワッと物事が進むんだと思う。
 もうひとつ、生物の場合は基本的に生活環境があらかじめほぼ定められており、生物自らが生活環境を変えることには限界がある。一方、資本主義のほうは、人間の欲望をさまざまなかたちで刺激することによって新しい市場を生み出すことができる。たとえば、スマホが出る前は別にスマホみたいなものが要るとほとんどの人は思わないが、登場して、便利そう、面白そうと思わせると、「ほしい」という欲望が刺激される。そうやって、企業や個人の生活環境や競争状況が変わっていくわけである。
 この新しいかたちでの欲望の刺激(経済の成長にはぜひとも必要だろう)をあと何百年も続けられるのかどうか、いささか疑問ではある。そういう時代にであることの良し悪しは簡単には言えない。まあ、少なくとも、先進国において餓死と病死が減ったこと、特に乳幼児の死亡率が劇的に下がったことはとてもよいことだとおれは思っているが。