ゲバラとカストロ

 時々、チェ・ゲバラのTシャツを着ている人を見かけることがある。
 確かに、チェ・ゲバラはカッコいい。アルゼンチンに生まれ、医学を学びながら南米をオートバイで走破し、生まれ育ちとは全然関係のないキューバ革命カストロらとともに成功させ、アフリカや南米の革命戦争に参加し、最後はボリビアの軍事政権によって銃殺された。
 しかもハンサムである。あれがもし朝青龍のような顔だったら、Tシャツになっただろうか。そう考えると、伝説化するには風貌も大切だと思うのである。
 一方で、語弊はあるが、ゲバラはいい時にいい形で死んだな、とも思う。少なくとも、伝説化、英雄化するうえでいつどう死ぬかは重要なポイントだと思う。たとえば、ゲバラボリビアで戦った後にキューバに戻り、カストロとともに国家統治の側にまわり、国民の不満が溜まっていくのを見ながら老いていったとしたら、どう見られるだろう。
 そういう意味では、勝手な想像だが、キューバの国家統治のほうにまわったカストロの後半生はしんどさの連続だったろうなと思う。しかし、カストロキューバを投げなかった(投げなかったことの正否はおれなんぞにはわからない)。
 カストロゲバラを思い出すとき、何を思うのだろうか。ピンク・フロイドの曲のように「Wish You Were Here(あなたがここにいてくれたら)」と思うのか、あるいは「お前はいいよな、勝手なことして。しかも英雄として讃えられて」とでも思うのか。
 おれはゲバラカストロならカストロのほうにシンパシーを覚える。カストロのTシャツを着ている人は見かけないけれども。