「〇〇の父」と呼ばれる人々がいる。たいがいはある分野を切り拓いた人々である。
たとえば、アレクサンダー・グラハム・ベルは「電話の父」と呼ばれる。
電話の父 アレクサンダー・グラハム・ベル
立派である。いかにも偉人というふうだ。
邪鬼であるおれはこういうのをついいじりたくなってしまう。偶像破壊の暗い喜びである。
たとえば、「父」を類語で置き換えるとどうなるか。
電話のパパ
わはは。いきなりそこらへんの人になってしまった。サリーちゃんのパパみたいだ。
これはどうか。
電話の親父
なぜか頑固者に見えてくる。鍛冶屋の親方みたいだ。勝手に畏敬の念と、一方でかすかな親しみを抱いてしまう。
おれが一番気に入ったのはこれ。
電話のお父さん
今度はマザー・テレサでやってみよう。
なお、ご案内の通り、こういう「いじり」というのは敬意のあるなしとは無関係だ。いじりは、いじりのいじりによるいじりのためのいじりなのである。
テレサ・ママ
ゴスペル的に響くのはなぜだろう。
テレサのおふくろ
ぐっと親しみが増しますね。
テレサ母ちゃん
意外とこちらのほうが「慈母」のイメージに近い。もしかすると、見る側の「甘えたい」という心理が影響しているのでちゅか。
テレサのおかん
最強である。何者にも負けない人種だ。ただし、機械にだけは弱そうである。