ゆるむ

 おれは今年で五十になるんだが、この年になるといろいろ実感を持ってわかってくることがある。
 もっとも、人生とは、とか、愛とは、とかはさっぱりわからず、実感するのはもっぱら己の肉体および精神方面のダメさ加減である。
 先日、健康診断で逆流性食道炎だと言われた。医師の説明では、胃の入り口の筋肉がゆるんでいて、何かの拍子に胃液がさかのぼり、食道の壁を溶かしてしまうんだそうだ。
 胃の入り口がゆるむということは要するに、入り口を閉じたり開いたりする筋肉がやる気をなくしているということなんだろう。飯を食ってすぐに逆立ちをしたらどうなるのだろうか。内容物がどばどばと口からあふれてくるのか。
 口がゆるむというのもある。思ったことを口に出すというより、思うそのまま口から出てしまうのである。
 おれはもっぱら妄想したり、いろんなことを思い出したりして日々を過ごしているんだが、時折、過去の恥ずかしい体験を思い出してしまうことがある。どのくらい恥ずかしいかというと、ここには書けないくらい恥ずかしい。道を歩いていて、どうした加減かそういうもののひとつを思い出してしまい、「うわあああ、恥ずかしい〜」などと自動的に口から出てしまい、道行く人を振り向かせたりする。これがまたモーレツに恥ずかしい。
 涙腺もゆるむ。この頃は、殴られたり、蹴られたり、腕ひしぎ十字固めを食らったりと激しい暴行を受けると、涙腺がやたらとゆるむ。当たり前か。そうではなくて、ふとした拍子につっと涙が出ることがある。別に大したことではなくて、親が子どもをあやしているとか、誰かが誰かの手を引いているとかその程度のものである。こういうのは普通、丸くなったとか、優しくなったとか、そういうふうに捉えられがちだが、ハテ、どうだろう。胃の入り口の筋肉がゆるんでサカダチ内容物どばどば男になったおれとしては、単に涙腺まわりの筋肉がやる気を失っているだけなんじゃないか、などとも思う。感動するから泣くのではない。泣くから感動するのである。知らんけど。
 次は何がゆるむんのだろう。肛門か。尿道か。
 気は昔からゆるみっぱなしなので、これ以上ゆるむ心配はない。昔の日本軍なら激しくビンタを食らうくらいゆるんでいる。おそらく、生涯ゆるみっぱなしだ。
 あるいは、財布の紐か。幸いにも、財布の紐がゆるんでも中身が入っていないから安心である。違うか。