日々の不幸と幸福について

 おれはおれがおれであること以外に人生であまり大きな不幸を体験したことがないのだが、日常的に小さな不幸を体験することはある。
 昨日、定食屋のカウンターで飯を食っていたら、隣にクチャクチャ男が座った。くっちゃくっちゃ音をたてながら食うのである。口の中で唾液と絡まりながら咀嚼されている内容物を想像してしまい、甚だ不幸であった。
 一方で、日常の小さな幸福というのもある。
 ばっちい話になって恐縮なのだが、大きな耳垢や鼻くそがとれたときの「おお!」という感覚。あれも小さな幸福といってもいいのではないか。あるいは、ここのところ、風邪気味なのだが、昨日、気管支がごろごろ言うので、わざとゼーゼーやって、ティッシュにぺっと吐くと、だいぶ煮詰まってゲル化の進んだ薄緑色の痰であった。ああいうのもなぜだかうれしい。
 昨日の定食屋のクチャクチャ男並みにデリカシーのない話をしてしまった。申し訳ない。
 日常の幸福といえば、電車で座っていて、たまたま隣に座った女の子が眠り、肩に頭をもたれかけてくるというのがある。ああいうのにはえも言われぬ幸福感がある。。
 いつだったか、両側に座った女の子が眠り、おれの両肩に頭をもたせかけてきたことがあった。奇跡のような幸福であった。そのとき、おれは志村けんの変なおじさんばりの満面の笑みを浮かべていたろうと思う。
 人間の小ささがバレてしまった。Think Small, イナモトです。