悲劇は突然訪れるのか

 先週のことだが、カレー屋のカウンターでカレーを食べながらスマホを見ていたら、つるりと手からスマホが滑り落ちた。「あや?」という間もなく、カレーの沼の中にスマホが半分埋没した。
 救い出すと、当然ながらスマホはカレーまみれである。大量の紙ナプキンでカレーをぬぐいながら、ひどい恥辱感を覚えた。おれが武士だったら、刀を抜いて乱心するところであった。あのとき、カレー屋にいた人々よ。おれがサムライでなくてよかったな。
 おれはそのとき、「悲劇は突然訪れる」と思った。アラビア語で言うと、「アッレーハ・ズワナ・ビッターフ」である。嘘である。
 しかし、今考えてみると、あれは突然訪れた悲劇だったのだろうか。
 まず、おれは生来の不器用である。鍵穴に鍵を入れるのが苦手なくらい不器用だ。おまけに指紋が大変に薄い。樹上生活を送らずに済んでいることに感謝している。そのうえに、迂闊である。どのくらい迂闊かというと、時々、自分には肩や手足があることを忘れ、何かのへりにそれらをぶつけて悶絶するくらい迂闊である。
 そういう馬鹿がスマホなんぞを見ながらカレーを食べているのだ。起こるべくして起きた事故ではないか。
 おれは断言する。悲劇は突然人に訪れるものではない。あらかじめ隠れたところで準備していて、ここぞというときに人を襲うのだ。襲われたほうは悲劇が隠れてひそかに準備していたことに気づかないから、「なぜこのわたしが・・・」などと思うのである。
 それ見ろ。こんなに簡単に断言するから、やっぱりおれは迂闊なのだ。
 なお、くだんのスマホは電話をすると、しばらくカレーの香りがしていた。