逝けばわかるさ

 例によってのオレオレ話で申し訳ないが、おれはあまり死後の世界とか、霊とかに興味がない。
 そもそもあまり宗教的な人間でないせいかもしれない。個人的にはお不動様を信仰しているのだが、あくまで心の持ちようみたいなところでたよりにしているからであって、現実にお不動様があのようなお姿をしているとか、何々を守護しているなんてことは信じていない。
 宗教関連の本を読まないわけではないが、第三者による解説的な本や歴史の本がほとんどだ。たとえて言うなら、有名な建築物の表部分を取り払うと柱や梁や基礎部分はどうなっているか、という構造を見て「へええ」と面白く思うようなものである。その宗教を信仰している人からすれば、不遜な態度なのかもしれないとも思う。
 臨死体験とか、宗教的体験の話を聞いたり読んだりしても、さほど興味を引かれない。ロックに興味のない人が、カート・コバーンについて熱く語る人の話を聞いているようなものである。
 小学生くらいの頃は、「自分が死ぬ」ということを考えると怖くて怖くてたまらなくなった。しかし、いつのまにかそうした恐怖は薄れてしまった。
 死後の世界に非常に興味を持ったり、知りたがったりする人がいる。おそらく、その人にとっては切実な問いなのだろう。そういう気持ちもまったく理解できないわけではないが、自分のことのように共感することはない。
 どうせそのうち死ぬんだし、死ねばわかるか、あるいはわかる自分自身がいなくなるかのどちらなんだろう。
 おれは生きるということに淡白なんだろうか、逝けばわかるさ、あるいは逝けばわからなくなるさ、というふうないい加減な態度でいる。
 まあ、おれのような阿呆は、行き当たりばったりというか、行き当たってバッタリか、あるいは行き倒れてバッタリ、あとはなるようにしかならんのだろう。