コンテナ物語

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

 原書は2006年の出版だから10年ほど前の本だが、最近読んだなかではかなり面白い本だった。1950年代以来のコンテナ、というより、コンテナ・システムの歴史を扱っている。
 1年ほど前に東京ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTで「単位展」という展覧会の企画を手伝った。単位というのは英語でいうと「unit」であり、コンテナに関する展示も候補にあがったのだが、うまく形にできず、結局、見送った。以来、コンテナというテーマをおれはなんとなく気にしていた。
 ちょっと考えてみていただきたいのだが、今の日本に住む我々は世界中のあちこちから持ち込まれた商品に囲まれている。しかも1カ国からのものばかりではなく、複数の国を経由してつくられたものが安価に提供されていたりする。たとえば、シャツ1枚にしても、ヨーロッパの会社が企画、デザインしたものを、アメリカの綿花を使ってメキシコで繊維にし、ベトナムで染色し、香港でプリントし、マレーシア製のボタンとともに青島で縫製し、日本に持ち込まれて、ショッピングモールで数千円で売られる、という具合だ。
 こんな世界的なモノの動きが可能になったのにはいろいろな要因があるのだろうけれども、その最大のもののひとつがコンテナ・システムであることは間違いない。「コンテナ物語」(原題は“THE BOX”)はそうしたシステムの進化についてわかりやすく語っている。
 1950年代から60年代の船の荷役は、もっぱら沖仲仕と呼ばれる労働者の人力で行っていた。これは20世紀にしてはかなり原始的な方法で、要するに、人が岸壁にある荷物を船に運んで船倉に押し込んでいく、あるいはその逆をするのである。当然、時間もかかれば、労働者の賃金もかかる。それらは輸送コストに反映される。
 1953年にマルコム・マクリーンという運送会社の社長がひとつ閃きを得た。船にトレーラーを引っ張ったトラックが乗り込み、トレーラーを切り離す。船はトレーラーを乗っけて航海する。目的の港に着いたら、現地のトラックが船に乗り込んでトレーラーを引き出せばいいではないか。これなら、沖仲仕はいらなくなる。いやいや、船の輸送量を考えると、トレーラーの台と車輪を運ぶのは無駄だ。いっそ、埠頭まで来たトレーラーから乗っかっている箱だけクレーンで船に移し変えればいいじゃないか。
 おれは工学について白痴だけれども、おそらく1950年代にあってもこれらは技術的にそんなに難しいことではなかったろうと思う。では、何が画期的だったかというと、マクリーンが全体をシステムとして構想したことである。また、客が必要としているのは、沖仲仕でもなければトレーラーでもなく、船の中にある「荷物」だと把握していたことである。そして、極論すれば、運ぶものはなんであろうと、ユニットにしてしまえば、原産地、工場、陸上運送、海上運送、流通業者、販売業者、全てがさっさと事を済ませられる、ということだ。効率化という意味では、アダム・スミスの「針」(だっけか?)製造に相通ずるものがある。
 マクリーンはこのシステムを海運会社を買い取って実現する。そうすると、他の船会社や港湾経営組織(普通は市当局)、陸運会社、鉄道が着目し、このシステムを発展させていった。たとえば、マクリーンの初期の船はクレーンを乗っけていたが、やがて港の岸壁に大型クレーンが設置されるようになる。陸運会社と鉄道会社はコンテナを効率よく運べるトラックや車両と運送網を構築していく。そうした自由競争的なシステムの進化によって、輸送コストは世界的に格段に下がっていった。あおりを食ったのは沖仲仕たちで、仕事のなくなった彼らは職を失ってしまった。
 ……と書くと、スムーズにコンテナ・システムが進化していったかのようだが、実際にはさまざまな紆余曲折があって、その紆余曲折ぶりがこの本には丁寧に記されている(そうした紆余曲折や混乱は今の情報ネットワークの進化にも通じるところがある)。システムの変化、進化というものに興味がある方にとってはかなり面白い本ではないかと思う。
 最後に、ちょっといい話。2001年5月30日、コンテナ・システムの最初の閃きを得たマルコム・マクリーンの葬儀の朝、世界中のコンテナ船は汽笛を鳴らして、弔意を表したんだそうだ。