安倍政権になって、特に安保関連法案がやいのやいのと騒ぎになった頃から、放送に対する政府の圧力ということが取りざたされるようになった。
おれは馬鹿なのでざっくりしか理解していないが、政権側の言い分は「放送法にしたがって、政治的に公平であれ。(さもないと……)」ということであるらしい。まあ、要するに政府の主張をちゃんと伝えろ、一方的に批判するな、ということを言いたいのだろう。
どうもおれには「政治的に公平」というのがよくわからない。そりゃ、中立、不偏不党であれ、ということなのか? 価値観と欲のある世界にあってそんなことが本当に可能なのか?? それとも、対立する意見もきちんと伝えろ、ということなんならば、政府なり自民党なりが何か主張するたびに、ニホンキョーサントーの主張も取り上げなければならんのではないか???
……などというのは、もちろん、面白がって書いているのだが(申し訳ない)、権力の威に対する放送側のビビリというのは別に我が国独自の現象でも、今に限ったことでもない。たとえば、ハルバースタムの「メディアの権力」では、1950年代のマッカーシーの赤狩り旋風に対するCBSのビビリが詳しく描かれている。
権力とは、英語の通り、powerであり、それを防げるのはシェルターだろう。そして、法治国家におけるシェルターとは法と司法(英語ではjustice)だろうと、割と古風におれは思ってるのよね。
- 作者: デイヴィッドハルバースタム,David Halberstam,筑紫哲也,東郷茂彦
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1999/09
- メディア: 文庫
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