ツッコミはデザイナーである

 おれはデザイン系の制作会社でプランニングとかコピーワークの仕事をしている。
 尊敬するグラフィックデザイナーの佐藤卓さんが「デザインとは人とありとあらゆる物事をつなぐ仕事」とよくおしゃっていて、この頃、確かにそうだなあ、と思うことが多い。また、佐藤卓さんは「やるべきことをやる」のがデザイナーであって、「やりたいことをやる」のはアーティストだともおっしゃっている。

→ type.center:第13回モリサワ文字文化フォーラム「感性に逃げないデザイン」佐藤卓

 話はちょっと変わるのだが、おれはなぜ人は笑うのかという仕組みに興味を持っている。そのテーマのひとつとして、日本の漫才の(というより、今や日本のコミュニケーションのひとつの型にすらなりつつある)ボケとツッコミはどういう働きかけ方で人を笑わせているのかについて考えることがある。
 ボケは割とわかりやすい。お客さん(あるいは、聞き手)の良識や想像から話や動きなどをズラすことで笑いをとるのだ。
 一方で、ツッコミの働きかけ方というのがちょっとうまく整理できないでいた。確かに、ツッコミがいることでボケの作り出した笑いは増幅される。それはどういうプロセスを通っているんだろう? ということが長い間、わかるようでわからないようでモヤモヤしていたのだ。
 おれには時折天啓がくだることがある。ただ、大した天啓がくだらないことだけが残念なのだが、それはまあよい。
 今朝、歯を磨いているとき、突然、ツッコミについての天啓がくだった。
 ツッコミの役割というのはボケとお客さんの間をつなぐことなのだ。ボケがあるズレたアイデア、あるいは世界を生み出す。客はそのズレを笑う。ツッコミはそのズレと客のつながり方を操作するのだ。
「ユーレカ!(そうか、わかったぞ!)」と叫んだら、口から歯磨き粉が吹き出した。
 一番シンプルなツッコミは「よしなさいって」と客の良識の側に立つやり方である。客を良識のほうに引き戻して、ボケの次のズレとの差をキープするのだ。合いの手であり、リズムを生む役目も果たす。昔の漫才ブームの頃のツッコミはだいたいこれであった。
 もう少し手が込んでくると、ボケの生んだズレに乗っかって、そのアイデアなり世界なりを膨らませて見せる。あるいは、ちょっと別方向に運んで、応用する。ズレを大きくしたり、ズレの位置をちょっと動かして、客に別の世界を見せてあげるのだ。典型的な例は中川家の礼二である。彼はボケのテクニックも持っているから、お兄ちゃん(剛)の作ったズレた世界を自由に展開してみせることができる。やすしきよし西川きよしはもしかしたらこの手法の先駆者かもしれない。
 もちろん、ツッコミは漫才の全体の流れの進行役、MCでもある。ボケはいわばDJだ。
 最初の話でいうと、ボケとお客さんのつなぎ方をコントロールするツッコミはデザイナーなのだ。そして、自分の「やりたいことをやる」ポジションにいるボケはアーティストである。
 ツッコミはデザイナー、ボケはアーティスト。
 ただし、デザイナーがツッコミ、アーティストがボケという意味ではない。
 以上、今日の天啓でした。明日は天罰がくだるかもしれません。