少し前に、東京都立現代美術館の『おとなもこどもも考える ここはだれの場所?』展で、美術館と東京都が出展作家に作品の撤去を要請したというゴタゴタがあった。
「檄 文部科学省に物申す 会田家」と書かれた大布や、安倍首相を皮肉ったようなビデオ作品について、「小さい子どもに対してどうなのか」というクレームがあり、作家の会田 誠への撤去要請に至った、という成り行きだった(らしい)。
→ Huffington Post - 会田誠の展示作品、東京都現代美術館が改変要請 市民からクレーム
会田 誠自身が美術館に確かめたところ、市民からのクレームはたった一件だけだったそうだ。この件がネットで広まったり、ニュースになったりした結果、皮肉にも展覧会の来場者が増えた。作品の撤去要請も撤回されたそうだ。
美術館と都がクレームに反応したのか、クレームが美術館と都の口実にされたのか、はたまた他の理由があったのか(いろいろと想像はふくらむが書かない)知らないが、仮にクレームに反応したのだとしよう。
このブログでもう何度も引用しているが、モンティ・パイソンのジョン・クリーズが、「フォルティ・タワーズ」というコメディ作品のDVDの付録インタビューで、こんなことを語っている。
とにかく僕は危険を感じる。規制の奨励に。その実態は強迫観念だ。修正するのはいい考えだと思うが、やりすぎは良くない。
何が危険かと言うと、あるグループの中で1人が特に神経質だとする。ほかの人たちより感情をうまく制御できない。神経質な人はすぐ怒るからみんな楽しめない。気楽に思いつきで話せなくなる。堅苦しい雰囲気になる。
神経質な人たちが社会を動かしたら、病的な社会に。一般的なことまで修正される。“神経質な人の常識”に塗り替えられる。
モンティ・パイソンの初期のBBCの番組には、今見ると差別意識丸出しというか、差別意識を取り上げて笑いに変えているようなドギツい作品がたくさんあり、おそらく当時は相当な批判にさらされただろう(BBCに送られてきたクレームをわざと放送するネタもあった)。であればこそ、上に書いたジョン・クリーズの発言にはリアリティがある。重みがある。
ジョン・クリーズはこんなことも言っている。
悲劇は苦しむ人物に客が感情移入を、喜劇は距離を置いて笑い飛ばす。アンリ・ベルクソンは“喜劇に必要なのは同情心の[一時的な]忘却”と。人物を突き放して見ることだ。人物に愛情があってもね。でないと、哀れみしか味わえない。([一時的な]は、クリーズの英語での発言に基づいて、稲本が補足)
まあ、ヘナチョコな結論で申し訳ないが、おれとしては「笑い飛ばせるのは結構なことじゃないか。あんまりカリカリしすぎるのもねー」と言いたい。
……えーと、そういえば、都立現代美術館と会田 誠の話でしたね。実は展覧会を見ていないので、作品や、撤去要請が妥当だったかどうかについて、おれは何も言えないのでした。
(竜頭蛇尾)
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