仏教と飯

 日本の仏教について考えると、おれはいつももやもやした心持ちになる。
 例えば、帝釈様とかお不動様なんていうものの存在をもし生前のお釈迦様が知ったら、果たして認めたであろうか。あるいは、弥勒菩薩はお釈迦様の次のブッダとして56億7千万年後(5億6千万年後という説もある)に現世に現れるためただ今、兜率天とやらで修行中なんだそうだが、そんな荒唐無稽なハナシをお釈迦様が聞いたらどう答えたであろうか。
 あれやこれやと考えると、日本の仏教というのはお釈迦様の教えをとりあえずはスタートとしつつも、インドのさまざまな神々や中央アジアの信仰や中国の信仰や日本の信仰あるいは諸事情がいろいろと絡みついて、現在のような姿になったように思える。なにやら、紅茶キノコの株を家庭から別の家庭へと分けていっているうちにいろんな菌が混じってきて、元の紅茶キノコとは全然別の菌の集合体に変化したかのようでもある。あるいは、おれはお不動様を信仰しているのだが、とすると、おれは実は仏教徒ではなく、むしろヒンズー教徒に近いんじゃないかと思ったりもする。
 では、お釈迦様の頃の戒律をより多く守っているとも言われる上座部仏教スリランカ経由で東南アジアのほうに広まったいわゆる南伝仏教)が原始仏教に近いかというと、それもよくわからない。
 ちょっと飛躍するけれども、現在の無文字社会を研究すれば原始時代の暮らしがわかるかというと、そうではないのに似ていると思う。現在の無文字社会のそれぞれはそれぞれに変化を続けてきたのであって、記録がない限り、今の我々にわかるのは「現在はこうである」ということだけである。というか、そう制限しないと勝手な想像が混じってしまって、間違いを犯す。
 何しろ、お釈迦様から二千五百年も経っているのだ。南伝仏教だって、それぞれの社会においてそれぞれに変化をしてきたと考えるのが自然だろう。
 結局は、いつもと同じで、「おれにはわからんよ」という結論にしかならなくて、いやー、あいすまんことです。
 ただ、仏教集団(主に僧の集団)がそれぞれの社会においてどのようにして飯の種を得てきたか、というテーマはその仏教集団の教えや戒律にも影響を与えているようで、なかなか興味深いとおれは考えている。
 例えば、日本の奈良時代のように国家仏教として国が寺を養うなら、寺は国のために役立とうとするだろう。少なくとも国に逆らうようなことはしない。荘園を持てば荘園領主としての機能を果たせるよう教えを変えなければならないし、寄進で成り立っている寺は寄進者を満足させようとするだろう。中国の禅宗では僧が自ら畑を耕すようになったそうで(農業をするのはお釈迦様にとっては出家ではないだろう)、だからこそある程度社会から隔離された状況で内面的な修行が可能になったのだろう(か?)。今の日本の仏教はいわゆる葬式仏教が主流であるからして、お布施という名の謝礼と不動産経営が飯の種とガソリン代として重要であり、勢い後継としての子供の存在が重要になっている。つまりは妻帯することになるから、戒律も今様に変わってきたわけである。
 南伝仏教についてはよく知らないが、今でも托鉢が重視されているようである(寄進も大きいだろうけど)。托鉢が成り立つには出す側に動機がいるから、そういう意識が存在する社会にならないといけない。社会の中に僧侶あるいは出家ということが組み込まれる必要が出てきて、それはそれで社会も変わるし、仏教側の教えや戒律もそれに合わせて変化するだろう。
 要するに、坊主の経済と人々の意識、社会の成り立ちは関係しているはずなのだ。例の、下部なんたらが上部なんたらを規定するというおハナシとなり、いっこう芸のないことで申し訳ないが、ちょっと興味がわいたので書いてみた。