霊、魂

 ここ何日か、iPodでお化け、幽霊方面の落語を何本か聞いている。「お化け長屋」とか、「化け物使い」とか、「お菊の皿」とか、まあ、そんなやつである。どれも馬鹿馬鹿しくてよい。
 落語にはいわゆる怪談話というのもあって、「牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」といったあたりが有名だ。もっとも、おれは噺としてはさわりくらいしか聞いたことがない。本では読んだことがあり、特に「真景累ヶ淵」はなかなかよかった。ただし、小説のようなしっかりした構成があるわけではなく、読み物としての評価は人によってマチマチだろう。おそらく、ああいう落語や講談の続き物は寄席なり講釈場なりで毎日それなりの山場や聞かせどころをつくらねばならず、勢い、全体の起承転結より、個々のエピソードや場面が優先されるのだろう。
 おれはなぜだか死後の世界というものにほとんど関心がない。別に「そんなものはない」などと決めつけているわけではなく(おれなんぞにそんなこと、わかるわけがない)、ただ単に関心がないだけである。「逝けばわかるさ」とテキトーにかまえている。
 ただ、霊とか、魂とか、第六感とか、そういうものはあるかもしれないな、とは思う。
 何度も書いたことがあるが、おれのおふくろは霊感が強いらしい。子どもの頃、火の玉を見たことがあるという(もっとも、あれは単に燐が燃えるのだという説もあるが)。
 おれが幼稚園の時分、兄が交通事故に遭ったとき、家でおれと遊んでいて、突然「××に何かあった気がする」とつぶやいた。しばらくして警察から電話がかかってきた。
 祖母が夜中に自室のベッドで頓死しかけたときには、いくつも部屋を隔てているのに目をさまし、「おばあちゃんがおかしい」と様子を見に行き、結果として祖母は助かった。
 母の親しい友人が亡くなったときには、母を含め、親しかった友人3人の家にそれぞれ虫が入ってきたという。他の2人は何となく胸騒ぎがして逃がしてあげたが、母だけは叩き潰した。ちょうどその時間に友人が亡くなった。お葬式で大変気まずい気持ちになったそうである。
 おれも、母の血を引いて、よく霊感がする。ただし、一度も当たったことがない。
真景累ヶ淵」に話を戻すと、あれはなかなかよくできていて、作中、いろんな人が怪奇に気を惑わすが、それが果たして因縁ある死者の霊のせいなのか、それともその死者のことが心のどこかにのしかかっていて気の病に陥っているのか、判然としない言い方となっている。霊的現象というのは神経の病ともとれるから、「神経重ね(あるいは、暈ね)ヶ淵」というわけである。
 結局、こういうことというのは正体がつかめないんだから、追求してみたところでしょうがない、とおれはおおたばに構えている。まあ、進歩がないといえば、進歩がない。