眼前のチャック全開問題について

 おれの通勤経路は目黒線武蔵小山から地下鉄南北線の六本木一丁目までである。目黒線南北線は乗り入れしているので乗り換える必要はなく、電車に乗っている時間は十五分ほどだ。
 先日、帰りに六本木一丁目から地下鉄に乗った。まあまあ、混んでいたが、座れた。目の前に中学校高学年か高校低学年くらいと思われる、まだちょっとあどけない雰囲気を残した少年が立った。
 おれの真正面で少年のズボンのチャックが全開になっていた。
 前にも書いた覚えがあるが、こういうときというのは非常に迷う。
「開いてますよ」と声をかけるのは親切だろうが、まわりの客にも聞こえる。少年も恥ずかしく思うだろう。
 かといって、黙っていると、少年はずっと全開のまま、電車を降りてからもその姿を一目に晒すことになる。もしかすると、少年はこれから人生初のデートかもしれない。初デートに来た少年のチャックが全開だった場合、相手の女の子はどのように感じるであろうか。初デートの全開の恥というのは心の傷として残るのではなかろうか。
 前にこういう話になったとき、誰かが「ギューッとチャックを上げてやるのはどうだ」と言ったことがある。さて、どんなものだろう。一見、男気ある行為に見えて、電車の衆人環視の中で少年は指摘されるより以上の恥ずかしさを覚えるのではないか。結局はこちらが男気を味わうための自己満足と言わざるを得ない。
 では、つと席から立って少年の肩を叩き、通路の真ん中あたりにいささかガニマタ気味に立ち、自分のチャックをバッと下げる、というのはどうか。自分に乗客の注目を集中させつつ、それとなく少年にサインを送るわけである。少年はおれが注目を集めている間にチャックを上げられるかもしれない。おれはこれこそが本当の男気であり、勇気というものだと思う。
 しかし、おれにはその男気と勇気が足りなかった。
 結局、悶々としたまま十五分。武蔵小山駅に着いてしまった。
 少年はそのまま電車に残った。初デート(もう、勝手に決めてしまう)はどうなっただろう。相手の美少女(今、そういうことにした)はどういう反応だったろう。
 女性の皆様よ。チャックが開いているのは確かに間抜けだ。しかし、男にはそんなときもあるのだ。あたたかく、ものやわらかな心で流してあげていただきたい。