豹のマントヒヒへの愛を薄汚れた心で見る

 このブログを何度かお読みいただいた方はお気づきだろうが、おれは物事を斜めに見るのが大好きである。そのせいで、写真などを撮られるときはいつも「ハイ、稲本さん、顔を前に向けて!」と注意される。皮肉、大好き。要するに、心が薄汚れているのである。
 と前置きしおいたところで、このムービーを黙って見ていただきたい(別にわめきながらでもかまわないが)。

 美しい光景である。豹が自然の宿命としてマントヒヒを食う。その赤ちゃんを慈しむ。横取りしようとするハイエナから守る。木から落ちないように守り、舐め回して慈しむ。
 しかし、と、心の薄汚れているおれは思ったのだ。
 こやつ、マントヒヒの赤ちゃんを大きくしてから食おうと考えているのではあるまいか? 小さいうちは大して腹を満たさないが、大きくしてからなら食いでがある。いわば、家畜のコンセプトである。
 いやいや、そんなことはあるまい。おれが斜めに見ているだけなのだろう。しかしなー、どこかでスイッチが切り替わるんじゃないかなー。ある日突然、目の前の成長したマントヒヒが獲物に見えるんじゃないかなー。怖いなー。和牛を育てる人も、屠場に送り出すまでは牛を丁寧にブラッシングし、声をかけて慈しむというしなー。・・・ああ、やっぱり、おれの心は薄汚れているぜ。