書き間違い

 おれは手書きをすると、やたらと書き間違いをする。
 特に苦手なのは封筒やハガキに住所を書くときで、宛名書きを修正するのは何だか相手に失礼な気がするものだから、いくつも反故になってしまう。もったいない。
 注意力散漫とか集中力がないと言ってしまえばそれまでなんだが、注意しなければ、注意しなければ、と自分で言い聞かせていても間違うんだから、我ながらよくわからない。意識している脳とは別の脳がおれの頭(か腰か知らないが)の中にあって、そっちのほうが書く方の指示をしているみたいな感じである。「間違っちゃいけない、まちがっちゃいけない、あや。間違った・・・」という具合だ。はっきり言って、おれは馬鹿なんじゃないかと思う。
 そんなだから、こういう書き間違いを見ると、ちょっと救われた心持ちになる。

 江戸初期の画工俵屋宗達の鶴の下絵に本阿弥光悦三十六歌仙の歌を書いた「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」という作品の一部である。本阿弥光悦は肩書きでの紹介が難しいけれども、日本美術史に残るアートディレクター、クリエイティブディレクター、書家、陶芸家(実際には光悦の指示のもと、ほとんど職工が作っていたようだが)である。写真の右下の部分を見ていただきたい。「柿本人丸(麻呂)」と書こうとして、「人」の字を書き忘れている。書き間違いに気づいて、後で細い筆で「人」と小さく書き足しているのが何とも可笑しいというか、愛らしいというか。Facebookで秋谷さんというネット上の知人から教えていただいた(写真も拝借した)。
 この作品、重要文化財に指定されているのだけれども、こういう間違いがそのまま残っているのも味わい深い。何というか、過去の名作と言われるとつい押し戴いてしまいたくなるが、少なくとも「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」については結構自由な心持ち、遊び心で作られたもののようである。ゆるがせにしない完成度、みたいなものとはまた別の境地で作られているように思う。
 だから、おれからの封書やハガキを受け取って、住所が間違っていてもその自由な境地、遊び心を楽しんでいただきたい。・・・というのは強弁にすらなってないですね。すんません、すんません。