「水清ければ魚棲まず」と言うが、世の中、濁りも大切だと思うのである。
もちろん、昨今の政治についてもの申す、などという下品なことをしたいわけではない。第一、おれにはそんな実力がない。
先日、自転車で大きな道を走っていたら、「お互い、ゆずりあいの精神で」という標語だかなんだかわからない看板に出くわした。
その瞬間、おれの頭にひらめくものがあった。「濁点をとったらどうなるであろう?」。
お互い、ゆすりあいの精神で
アウトレイジ。全員、悪人。いやはや、何とも殺伐とした世界ではないか。だから、世の中、濁りも大切だと思うのである。
例えば、「バスに乗ると、一見ヤンキー風の高校生に席をゆずられた。」という小さな親切風の文があったとする。これも、濁りをとると、
バスに乗ると、一見ヤンキー風の高校生に席をゆすられた。
という小さな殺伐となってしまうのである。
いや、小さな殺伐ばかりではない。「親から家建物をゆずられた。」なぞ、
親から家建物をゆすられた。
という骨肉の争いとなってしまうのである。
だから、悪所が必要であるように、濁りもまた必要だと思うのである。