身体と自己責任

 おれは卑怯者なので、都合の悪いことがあればなるべく他のせいにしてしまいたい、という性根があるのだが、自分の体型、骨格の悪さはハテ自分のせいなのであろうか。
 たとえば、おれはものすごいなで肩である。名前が「よしのり」なので、いっそのこと「よっちゃんイカ」と呼んでしまいたいくらいの斜め具合である。
 なで肩の何が困るって、見てくれが弱そうである(ま、実際にも弱いのだが)という情緒的部分以外にも、肩掛けカバンが掛けられないという機能上の欠点がある。肩に掛けるとずりずりずり落ちてくるものだから、しょうがなく襷がけにするのだが、何だか純朴な人みたいで、今イチ粋じゃない。おれがもてないのはきっとそのせいである。
 胸板も大変に薄い。そうすると、相対的に腹が出て見える。まあ、年をとってから脂肪がついて出てきたせいもあるのだが、それだけではない。裸になると、腹が減っているときはそうでもないのだが、飯を食った後なんぞは胸板の薄さのせいで相対的に腹がどどんと出て見える。何だか、アフリカの飢えた子供たちみたいな具合である。飽食なのに。体重65kgあるのに。肉野菜炒め定食とか食べているのに。
 こういうのは誰のせいなのか。おれ自身のせいといえば、そうなのかもしれないが、おれは別にこういう体型に生まれたかったわけではない。気づいたらこんな体型だったのだ。じゃあ、生んでくれた両親のせいなのか、遺伝子の配合を決めてくれちゃったご先祖樣方のせいなのか。向こうとしても「そんなこと言われても」であろう。だいたい、こういう考え方は孝の道に反する。スズメ忠と鳴き、カラス孝と鳴く。やはり、親とご先祖様は敬すべきである。
 こういう話をすると、ハンデを背負っていない、すなわちなで肩でもなければ、胸板も厚い人々は簡単に「体を鍛えろ」と言う。そりゃ、正論、今のスリランカかもしれないが、なで肩で胸板の薄い人間が筋肉をつけると、よりいっそう奇妙な体型に見えるおそれもあり、だいいち、面倒くさい。あ、面倒くさいと言ってしまった。やっぱ、おれが悪いのか。やっぱ、性根の問題ですね。……ところで、性根が悪いのは自分のせいなのであろうか(以下、ともどもなく思考がぐるぐる回りそうなので、ここでやめておく)。