おれとお不動様

 インド名をアチャラ・ナータ (अचलनाथ )と言い、シバ神の化身とも(あるいは大日如来の化身とも)いうから、インド由来の神様であることは確かだ。仏教の守護者とも、煩悩に悩み苦しむ衆生を力ずくで救う者とも言われる。
 しかし、お不動様をおれが信仰しているのは、そういうこととあまり関係ない。おれの生半可な知識とリクツでは、密教というのは本当に(お釈迦様の始めた)仏教なのか? という疑問もあるのだが、それもあんまり関係ない。
 おれがお不動様を信仰するようになったのは、自分の心が簡単に動揺するからである。家から自転車ですぐのところに目黒不動があり、「動揺する」→「お不動様なら何とかしてくれるのでは?」と単純に考えたのがきっかけだ。
 以来、ほぼ毎週、目黒不動に参っている。自転車で門前仲町のあたりに出かけたときは深川不動に参るし、去年は佐倉に行ったついでに足をのばして、成田不動にお参りした。
 お不動様の前に立って、動かぬ心でいられますように、と祈ると、何かそのときは心が定まったような心持ちになる。寺を出て、しばらく経つとそんな心持ちは霧散してしまうのだが、しかし、どこかあの心の形は残っているような気もする。おれにとってはそれだけでいいのだ。
 お不動様が絵や彫刻で見るようなあのような焔を背負った人間のような姿をしているとおれは思っていない。現実に存在するのかどうかも知らない。不遜な言い方をすれば、そんなことどうだっていいとすら思っている。
 祈るとき、おれの中では、ある心の形ができる。だから、そのとき、おれの中にお不動様はいる。