犬と遺伝子操作

 遺伝子組み換えナンタラ、というのは、少なくとも日本では世間一般に評判がよくないようである(もちろん、おれはグアテマラの世間も、アンゴラの世間も、カナリヤ諸島の世間も、デンマークの世間も、アメリカの世間すらも知らんのであるが)。ありていに言うと、不気味、あるいは不安、というイメージが強いように思う。
 おれも、何となく気味が悪い印象を持っている。別に大した知識を持っているわけではない。まあ、害虫も食わないようなものを人間が食って大丈夫なんだろうかとか(知識がないから単純にそんなふうに考えてしまう)、何世代にもわたって経験的に安全性が確かめられたものではないから避けておいたほうが無難かな、とか、せいぜいその程度の認識であって、きちんとした議論はできない。馬鹿が馬鹿という自覚を持っていると、こういうときに悲しい。
 それはともかく、遺伝子組み換えナンタラに対する不気味な感じには、もうひとつ、「人間がそんなレベルにまで手を出していいのだろうか」という何となくの不安も混じっているのではないか。神の領域か、自然の原理的な領域か知らないが、一種、宗教的な意味でのヤバさの感覚、許されぬ神殿の奥の間にそっと足を踏み入れてしまったような怖さもあるような気がするのである。
 で、である。そういう感じ方、ヤバさの感覚に思い至ったとき、これまで何度か書いたことがあるが、犬、ね。あれはどうなんだろうか。
 犬というのはご存知の通り、祖先は狼である。遺伝子研究の結果、狼以外の動物の血は混じっていないとわかっているらしい(つまり、馬とロバの掛け合わせでラバが生まれた、みたいなことはないらしい)。
 ということはですよ。こんなのも、

こんなのも、

こんなのも、

こんなのも、

みーんな、

こういうのの成れの果てなのである。
 つまり、犬というのはどんな犬も、狼を人間があれこれ交配したあげくに生み出した形態ということだ。この、交配による生物の改良というのは、考えようによっては(現時点では)遺伝子組み換えナンタラとは比べ物にならないくらい強力な自然への働きかけと言えないだろうか。
まあ、豚なんかもなかなかのもので、

ご存知の通り、イノシシが祖先である。

 そして、豚が野生化して野豚になっても、

 形態がイノシシに戻るわけではない。
 しかし、豚も犬の成れの果て具合にはかなわない。やはり、狼→犬という人為的な生物改造は強烈だ。
 繰り返すが、こういうのが、

 あれこれいろいろやっているうちに、

 こういうのになってしまったというのだから。
 いや、別に遺伝子操作の是非についてどうこう言いたいわけではない。
 単に、人間というのはえらいことをする生き物だなー、と感心しているだけである。
  
「頑張ればここまで行ける。」