法への意識

 先週、デンゼル・ワシントン主演の「マーシャル・ロー(The Siege)」とアル・パチーノ主演の「ジャスティス(...And Justice for All)」を見た。特に意識して見たわけではないが、どちらも法の意味、価値が映画の大きなテーマとなっている。

 この2本に限らず、アメリカの映画には法というものの存在意義をテーマにするものが多いように思う。「12人の怒れる男」「フィラデルフィア」のような法廷劇は多いし、面白いものも多い。
 翻って、日本には法律をテーマにした映画は少ないようである。ぱっと思いつくところでは「それでもボクはやってない」くらいだろうか。テレビの時代劇などでは、罪を犯した善人にお白州で「おかみにも情けはあるぞ」などと諭して、これが大岡裁きなどと喝采されたりする。まあ、時代劇だからといえばそれまでだが、喝采する側にはやはり法よりも情を上に置きたい気持ちがあるのだろう。一種の甘えもあるのかもしれない。法治国家としては、実はちょっと恐ろしい意識ではある(だって、ひっくり返すと「おかみにも憎しみはあるぞ」になるんですよ)。
 おれはアメリカと日本の映画くらいしか見ないので、法をテーマにした映画が、その他の国、たとえば、イギリスやフランス、ドイツ、イラン、イラク、インド、ナイジェリア、中国、ウクライナ、韓国、エジプト、ブラジル、南アフリカ、メキシコ、オーストラリア、カザフスタン北朝鮮(なさそうだな・・・)にどのくらいあるのか知らない。しかし、少なくともアメリカと日本では、法というものに対する意識あるいは認識、捉え方に相当な違いがありそうである。