日本共産党の綱領を読む

 郵便受けに時たま放り込んである共産党のチラシを読むのがおれは結構好きだ。我こそは正義、民衆の味方ナリと言いたげな書きっぷりと、その割にはツッコミどころ満載の脇の甘さがあり、読むと、できそうにもないよい子ちゃん発言を学級会で繰り返す優等生をやっつけるような暗い喜びを味わえる。
 このごろのチラシでは消費税アップ反対と福祉の充実を謳っていることが多いようである。じゃあ、その財源はどうするのかというと、大企業の内部留保を吐き出させるという。大企業が儲けないと共産党の政策も続けられないわけで、実は共産党も大企業サマサマだったりするわけである。
 そう言えば日本共産党の綱領って読んだことないな、と思って、インターネットで検索してみた。ありました。

→ 日本共産党綱領

 結構長い文章なので、適当にかいつまんで見ていこう。
 最初は「一、戦前の日本社会と日本共産党」で、まあ、おそらく、ワシらは先人が命を賭して戦った歴史ある党である、ということが言いたいのであろう。「農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた」。出ました「独占資本主義」。パチパチパチ。
 その次が「二、現在の日本社会の特質」で、アメリカに従属という共産党ならではの見方(なんなら、こだわりの一品と呼んでもよい)が書いてある。
 この一と二が、いわゆる「総括」というやつですね。
「三、世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ」はもっぱらソ連とアメリカの悪口が書いてある。特にソ連については手厳しい。「我々と一緒にしないでください」と言いたいのだろう。まあ、いろいろと迷惑な思いをしてきたということなのだろうが、意地の悪い見方をすると近親憎悪にも見える。
「四、民主主義革命と民主連合政府」は政策についてで、家に放り込まれるチラシに書いてある内容はだいたいここの章がもとになっているようだ。割合にソフト路線というか、現実路線である。
 しかし、軽く読み流していると、いきなりこんな文章が出てきたりするからうっかりできない。

民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。

 統一戦線。結集。反動的党派とたたかい。何かこう、急に昔ながらの、というかアナクロな武闘派路線が飛び出してくる。今って2010年代じゃなかったかしら。あれ? 1960年代だったっけ。赤軍派が事件でも起こしそうな大時代的言語感覚である。
 そうして、この後、いきなり出てくる。「五、社会主義共産主義の社会をめざして」。

社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。

 ズビーン。ソフト路線、現実路線もあろうものかはの真っ向勝負である。

 生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。

 生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。

 生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす。

 凄いなあ。「生産手段の社会化」。「経済の計画的な運営」。
 生産手段を社会化なんぞしたら人々がだらけ出すし、経済の計画的な運営をやろうとすると強制(ノルマ)と官僚主義の果てにぐだぐだになる、というのが、二十世紀半ばから後半にかけて、無数の個人的悲劇を渦巻かせつつ、人類が学んだことだろう。この綱領を是とした人たちにとって、1980年代〜90年代って何だったのだろうか。
 いまだにこういう図式を保持・保存していることにある種の感動を覚えた。日本共産党こそユネスコ無形文化遺産に登録すべきなのではなかろうか。