食い意地

 例によってのおれは人間が小さいという話なのであるが、食べ物のうまいまずいあるいはあれを食いたいこれを食いたいという声高な話におれはどうも眉をひそめてしまう。中島らもが何かで「口いやしさ」と書いていたが、そういう受け止め方に近い。あるいは、エロ話(嫌いではないのだが)をあたりをはばからずにする人への抵抗感にも似ている。
 高峰秀子の「わたしの渡世日記」を読んでいたら谷崎潤一郎の逸話が出ていた。谷崎潤一郎は食通で知られ、また高峰秀子を非常にかわいがっていたらしい。こんな話である。

(……)料理のうまいことで知られている東京の日本旅館で夕食をご馳走になっていた時だった。はじめのうちは例によって楽しげに顎の上下運動をくりかえしていた潤一郎の表情が、コースが終わりに近づくにつれてだんだんけわしくなってきた。デザートが運ばれたとたんに、彼は室内電話にとびついて女主人を呼び出した。その語気の強さにおそるおそる襖を開けてまかり出た女主人に向かって潤一郎の怒りは爆発した。
「私は年寄りだからこんな食事でもかまいません! しかし今夜の若いお客様がこれくらいの料理で満足できると思っているのですか。量も少なければ味も薄い。こんなものがご馳走だなんて、私は恥ずかしい! 恥ずかしいのですよ」
 女主人は畳に手をついたままオロオロとして頭も上げない。(……)実は潤一郎がいちばん不満だったのではないかと、あとで考えて笑ってしまった。

 あるいは、こんな話。

 前菜、刺し身とコースが進み、つぎは彼の好物の「鯛のうしお」である。「お待たせいたしました」という声と同時に美しいお椀が運ばれた。食べもののこととなるとまるで子供のように興奮してあわてる潤一郎の指先が、アッという間にお椀をひっくり返し、すまし汁がビシャッとテーブルに流れたとたん、潤一郎の唇がその汁を追いかけて、ちゅうと音立てて汁を吸い上げたのである。その汁をゴクンと喉を鳴らして飲みこんだ潤一郎は、「ああ、もったいない、もったいない」と呟きながらお椀の中をのぞき込んだ。

 意地きたねぇなあ、と笑ってしまう。
 まあ、テーブルに流れたすまし汁をちゅうと吸い上げるのにはお気に入りの高峰秀子への道化的なサービス精神もあったのかもしれない。また、谷崎潤一郎はそういう欲に躊躇なく身をゆだねながらも、そのいやしい己の姿をどこか突き放して笑っていたのではないかとも思う。何しろ瘋癲老人の作家である。色と食という欲、快を美として開き直った人であり、小人(おれ)が口いやしいの意地きたないのと断罪するのは己の小ささを際立たせるばかりかもしれない。まあ、いやしいけど。

わたしの渡世日記〈下〉 (新潮文庫)

わたしの渡世日記〈下〉 (新潮文庫)