おれと写真

 おれ様はこういう人間であるという例によってのおれおれ話である。
 外で名所やら気になるものやらを携帯で撮るという姿が当たり前になって、もうだいぶになる。最近はFacebook等々で見せる目的もあるのだろう、飲食店で料理を撮る人も多い。
 おれはどうもあれが好きでない。
 どうして好きでないのだろう、と掘ってみると、割と浅いところで出てくるのが「みっともない」「下品だ」といった言葉であった。じゃあなんでみっともない、下品と感じるのかとさらに掘ってみると、どうやら「貧乏人がめったに食えない御馳走にはしゃいでいる」姿に見えるらしい。いや、別に料理を写真に撮っている人が実際に貧乏というわけではないよ。あくまでそういうふうにおれには見えてしまう、ということだ。
 あの料理を写真に撮る格好のみっともなさ(もう、断言してしまう)には他の理由もある。ちょっと理屈には分解できないのだが、例えば、オバマ大統領が外国要人との晩餐会で目の前に出た料理を相手そっちのけで携帯に撮ったらどう見えるだろう。そういうみっともなさである。
 どうやらおれの中には料理の場についてそういうコード、規範があるらしい。サンデル教授、この問題についてハーバードで白熱教室してください。
 おれは外の景色を携帯で撮ることもしない。
 ここ1年くらいは休みの日になると自転車で遠出することが多い。ペダルを踏みながら、「ああ、素晴らしい風景だな」と感じる場所と時間もよくあり、そういう瞬間を得たくて自転車に乗っているところもある。そのとき、携帯で写真を撮りたくなったり、その写真をシェアしたくなったりするかというと、それはない。そのせっかくの風景、当たっている空気、こ難しくいうとアウラみたいなものが、携帯をごそごそ取り出して撮る、という行為によって損なわれてしまうように感じるのだ。何と言うか、「撮るな。感じろ」と思う。
 お読みの通りのおれおれ話であった。これはこれでみっともないのだが、おれにとっては業のようなものであり、開き直っている。