惜しいナァ

 地図を見ていて、「惜しいナァ」と思うことがある。例えば、スペインとモロッコの間のジブラルタル海峡


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 もうちょいでヨーロッパとアフリカは地続きだったのに、惜しいナァ、と思う。もっとも、昔から象に乗ったハンニバルやらイスラム教徒らが海峡なんぞものともせず、ヨーロッパにわーっと攻め入っているけれども。
 あるいは、イタリア半島シチリア島の間のメッシナ海峡


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 ほんのわずか、ちょいと曲がったこれだけのことで、イタリア半島シチリア島は切り離されている。もっともこの海峡があるおかげで、「シチリアという石ころに蹴つまずくイタリア」という地形と政治経済のダブルミーニングを我々は楽しめるわけである。


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シチリアにつまづくイタリア

 よく知らないが、海峡というのは元々地続きだったところを水が浸食作用で強引に切り開いたものが多いのかもしれない。
 逆にペロポニソス半島なんかは首の皮一枚で大陸とつながっている。水はパトラのほうからだいぶ攻め込んでいるのに、コリントスのあたりでほんのわずか及ばないという感じだ。陸地が頑強に粘っている。


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 我が日本に目を移すと、何たって関門海峡が惜しい。


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 回り込むようにして海峡が本州と九州を隔てている。水の側からすると日本海から瀬戸内海にかけて、「通った!」という感じだろうか。陸地の側にはもう少し頑張ってほしかった気もする。
 淡路島も上下を水に通られてしまって力及ばず、というふうだ。両方を何とかしようとして、両方とも失ったというようにも見え、個人的に「わかるナァ、その無念さ。力不足の感じ」と思う。


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 さて、東京に前々から気になっていた地形がある。ここである。


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 荒川に隅田川が異常接近している。もう少しで一緒になりそうなのに、なれないでいる。見方によっては隅田川がすり寄ったりふっと逃がれたりしているようにも見え、ある種の男女関係のようである。
 先日、どういう具合か確かめに、自転車で見に行った。おれの住んでいる武蔵小山からは往復五時間ほどかかって酔狂な話だが、酔狂なことがおれは好きなんである。
 荒川の土手を走ると、確かに両側に川が見えた。荒川は河川敷のある全国共通ののんびりした河原風景であり、隅田川はコンクリートで両岸が固められた都会的な風情だった。互いに異質であり、相手に干渉せず、互いの領分を守っているように見えた。そんな関係も悪くない。
「どうもこれは肌が合わんのだろうナァ」と納得して帰ってきた。