前回、お国自慢したくなる感覚が今いちわからないという話を書いた。
一方で、おれの場合、生まれ故郷を自虐するのはできそうである。試しに生まれ育った富山を卑下してみよう。
1. 空が暗い
これはもっぱら冬の話だが、曇り空のことが多く、鉛色の雲がたれ込めている。陰気である。やはり晴れているときと比べると、心は陰鬱になる。
2. 海も暗い
鉛色である。陰気である。湘南のように裕ちゃんもサザンオールスターズも出そうにない土地柄である。サーファーより漁船がよく似合う。
3. 人も暗い
・・・というのは嘘で、実は案外とのんびりとした雰囲気の人が多い。これはよいところだ。
4. 雪が重い
積雪が多く、そして雪質が重い。いわゆるボタ雪というやつである。パウダースノーのように蹴散らせばパッと広がる、なんてことはなく、積もった雪を蹴ろうとすると雪の中にずぼっと足がめりこむ。どういう気象現象の加減なのだろうか。あるいは上空の気温が、北海道や長野と違い、比較的高いことが関係しているのだろうか。
ともあれ、重い。家をしっかり作っておかないと屋根がつぶれるくらいである。よく屋根から落ちた雪が下に止めてあったクルマを直撃し、クルマがつぶれる、なんてことがある。人が死ぬこともある。
重い雪は体と心にのしかかる。富山の雪というと、おれの頭の中にはよくレミオロメンの「粉雪」が響く。
ただし、タイトルは「ボタ雪」である。サビの部分は「♪こな〜雪〜、ねえ、心ま〜で白く〜」ではなく、「♪ボタ〜雪〜、ねえ、体ま〜で重く〜」に自動的に変換される。
5. 心が重い
空が暗く、海が暗く、雪が重くのしかかるとなれば、どうしても心が重くなりがちである。水上勉がよく似合う。
6. 美男美女が出ない
もちろん、おれを除く。富山出身の芸能人を挙げてみよう。
室井滋、柴田理恵、西村雅彦、立川志の輔
個性的な人ばかりである。個性的、ということは顔で勝負できないということである。唯一美人と言えるとしたら、吹雪ジュンだが、長年、富山出身であることをひた隠しにしてきた過去がある。
ついでに言うと、上野千鶴子も富山出身である。上野千鶴子と室井滋と柴田理恵を生んだ風土・・・おそるべきである。
7. 洗練されていない
街も人もそうである。隣の石川県の金沢と比べるとその差は歴然としている。おそらく富山県内の土地のほとんどが江戸時代、加賀藩の配下にあり、旧富山市のあたりの富山藩は加賀藩の支藩であったことと関係しているのだろう。土地にハイソサエティというものが存在せず、文化的な洗練が磨かされなかったせいだと思う。上流階級があるとその趣味が中流階級に影響するものだが(京都、金沢がいい例だ)、中流階級以下しか存在しないと「無事であればよい」というふうになりがちなのだと思う。
8. 言葉が汚い
「汚い」というのは、まあ、中央絶対主義的視線からの言い方だが、共通語、あるいは上方言葉からかけ離れていて、日本の多くの人に通じない、という意味でとらえていただきたい。どのくらい通じないかというと、たとえばこんながかいてみっねかいね、ほったらもじでかいとんがになーんわからんがやちゃ。はがやしなるときあるわ。かいとっだけでまっでそんながやからいね、イントネーションとかついたらなおわからんし、そいでもおらっちゃまちのにんげんやからまだだいぶおとなしいおもうがやけどあんたざいごのほういってみられま、じいちゃんばあちゃんらになっとおらっちゃでもなにいうとんがけゆうぐらいまっでわからんでえ〜ぇこまんがやちゃ。
前回と比べて、卑下するほうが明らかに筆がノる。自慢も卑下も、どちらも対象(この場合は生まれ故郷)との近しい関係を確認、再構築しようとする行為だが、おれの場合は卑下体質であるらしい。これはおれ個人の問題でもあるが、生まれ育った富山の文化も影響しているように思う。富山では「いえいえ、私なんぞ〜」と謙遜、卑下してみせるのが人間関係の基本というところがある。ガキの時分から親やまわりの人がそうしている姿を見聞きすると、自然とそういう行為が身にしみるのだろう。
ともあれ、富山はいいところだ(説得力がない)。